Friday, February 11, 2011
Enter the void
東海岸は記録的な寒波と大雪、なんてニュースがチラホラ見える中、SFはもう春だ。
昼夜の気温差がデカくてキツいけど、昼の陽気も、夜のピリッとした冷たさも気持ちいい。
こんな日は、昼の散歩の後、夜、独りでチャリに乗る。
SFはご存知の通り坂の街なので、チャリ乗り達は、坂が少ない道を通って、ドライバー達とは違うマップを頭に入れて暮らしている。
当然勾配の少ない道といえば谷なので、行く方向が同じだと、いきおいそこにチャリが集中する。
その道がいつしかバイクレーンとして整備される様になった。
皆が同じルートを走るとなると、当然そこには速いヤツと遅いヤツがいて、ほぼ同じスピードのやつらもいる。
俺も最近知ったのだが、夜になると、市内の主要なバイクレーンはこういう連中の「ちょいレース」がそこら中で始まってる。
しかも、勿論そのとき一緒に走る相手にもよるが、結構距離が長くなる。
夜の5km位のスプリントレースは、結構息があがる。
今、ひとっ走り競争して、California Academy of Sciene と De Young Musium の中庭でこれを書いています。
知らない奴と自転車で競争なんて、小学校の時以来だな。最近自分の事が小5に思える。
夜中の公園で、意地になって自転車をこぎまくる37歳(中身11歳)。
これまで、自分の過去なんて殆ど気にもせずに、前の事ばかり見て生きて来た。もし仮に皆が俺と同じ様に考えていたとすれば、だから人は自分の子供の頃の記憶を無くしていくんだろうと思う。違うのかな。
そして、子供が出来た事をきっかけに、自分の過去が気になる様になった。
これは180度の観点のフリップだ。
いつまでも過去の自分を忘れたまま目の前にあるものを摂取しつづけていては、子供にモノを教えたり出来はしない。
そして、この日が来るまでにどのくらい自分という人間に多様性や深みを持たせられたかで、人は自分の価値を判断するのだろう。
やりきって満足した事、まだまだやり足りない事、やってみたけど全然好きじゃなかったのに、何であんな事やってたんだろう?みたいな事もある。
そんな事を一つ一つ検証していくと、本来自分が好きだったり得意だった事と、自分が成長する中で得て来たモノとがある事に気がついた。だから、子供にはそれを早いうちから見出して、その様に育ててあげたい。
人には、この「子供が出来る」ともう一つ、自分の人生を振り返るきっかけとなる瞬間があると思う。
それは「自分の死」だ。
死というものについてまだ人類は確たる定義を持てていない。
でも俺は、自身の過去の臨死体験や文章を通して得た情報から考えるに、仮に魂というものが存在するとすれば、事故や自殺や寿命や安楽死などのいかなる状況の死においても、自分で決意しない限りは完全に死というものを受け入れる事が出来ないのではないか?と考えている。
そう考えるには理由がある。なぜなら、「人間の脳は、一度見たものを忘れない」と言われているからで、レインマンに描かれていたサバン症候群の存在がそれを証明している。もし人がよく言われる様に、「死の瞬間に自分の人生を走馬灯の様にリコールする」なら、「人間の脳は、一度見たものを忘れない」のであれば、その人が拘り続ける限り、どんな小さなディティールまでも思い出せる能力が人間には備わっている訳で、人は肉体的には死んだとしても、その魂なり意識なりは、自分が納得するまで自分の人生と向き合い続ける事になるはずだ。
と、ここまでは俺の勝手な想像上での「死」というものだが、今日の映画 Enter the Void は、この問題をチベット死者の書を下敷きとして描いた物語だ。
輪廻転生を信じるチベット人達の死生観を、東京を舞台にそこに住むアンダーグラウンド外人コミュニティ達を例にとって描いている。
このへんの哲学的、宗教的、神秘的なモノは、今の興味の対象ではないので、内容については正直どうでもいいのだが、ヴィジュアルにはやられた。
特に主人公が死んでしまうまでの初めの30分程は、まるで自分がサイケデリックドラッグを摂っているかの様な錯覚に陥る。
好きじゃないのに今朝、起きてすぐに、また観てしまった。この映像にはちょっとした中毒性がある気がする。
まあ、また観てしまったけど、俺はやっぱりPlanet Terrorとかの方が好きだな。
Monday, January 31, 2011
D.I.Y. or DIE
まだ中学生の頃、パンクロックを初めて聴いた時に、ビックリした。
勿論カッコいいからだった。ザラザラした音質にヤられた。高校に上がる頃、イカ天のお陰でバンドブームだったけど、地元のライブハウスでは、まだレコードから聞こえて来てたようなロックには中々会えなかったから、近所のケヤキ通りのアストロマインドって古着屋に、意味も無く音を聞きに行ったりした。Alley cat Loftもいい音かけてたな。
D.I.Y. Do It Yourself.
「こんなに下手糞で音質も悪くても、レコードって出せるんや。」それまで歌謡曲やテレビから聞こえるポップスしか知らなかった俺には、商品化された音楽でないインディーズの音楽は「生」の質感をもって感じられた。
思えば、パンクの友達は当然かもしれないけどD.I.Y.だった気がする。
パックマンはスペースインベーダーズで自分をプロデュースしてたし、小山君はリスクをシルクスクリーンで刷ってた。
ヤッチンも早いうちから東京に出て靴屋始めてた。
この街は、いい意味で社会的に破綻した人間でも受け入れられる素地があるので、「好きな事しか出来ない」愛すべき人達が沢山いて、彼等は今日も、その持てるスキルで必死に生きている。連中は、当然あまり裕福でない場合が多い。だから自分で何でもやるし、また、出来てしまうから自分でやってしまう。買うという必要があまり無いからお金に対する執着が薄い。だから器用貧乏になってしまう。
こういうマーケティングから程遠いところで暮らしている人達の作るものは、とても素直でユニークで、難解なのに何故かメッセージが受け取りやすい。一生懸命作られた彼等のジュエリーや服や音楽や絵を前にすると、工業製品のなんと退屈な事かと思わされる。
毎月開かれるクラフトフェアでは、街のアーティスト達が店を出しているからよく覗きに行く。ゆかちゃんと直樹も店出してたな。
D.I.Y.は2000年代のトレンドだったと思う。買い物に飽きた人達の、当然過ぎる反応だった。今日のこの映画に出て来る連中は、最近までこの街にゴマンと居た類いの連中だ。買う事を拒否して、また自分達の作品を企業に売る事を拒否して、自分達で全てやって行く事。映画は単純にインタビューのつなぎ合わせなのだが、それぞれのキャラの持つ個性と言葉の力強さ、そしてなにより皆が揃って異口同音に同じ考えを口にしてる様に胸がすく思いがした。
インターネットが個人と企業のサイズの違いを埋め、利ざやでメシを喰ってる人達を締め出してる。
人と人が、驚く程近くなった時代。生産者と消費者が直接つながれる。
これから、もっともっと言いたい事がある人や、見せたいものがある人、聴かせたいものがある人達が出てくるだろう。
アートにかかるコストは、信じられないスピードで縮んでいる。
そして、この映画の監督自体もこの映画を予算ゼロで撮って自分で配給してる。
DVDは売ってるけど、買った人にはコピーする事を勧めてるし、第一youtubeに自分で全部アップロードしてしまってる。
このままいけば、いつか皆がアーティストになるんじゃなかろうか?
そんな風に思わされる。
その一方、2010年からの流れは、急激にヤッピー化が進んでいるようにも思える。田舎で買い物とフットボールを楽しみに生きてた様な人達が、この一年で急激に都市部に流れ込んで来た。ウチの近所でも、高そうなイヌ連れた白人がロゴ物のスエット着て、腕にipod付けてジョギングしてたりする。これからどうなる事やら。
日本はどうなんだろう?
Tuesday, January 11, 2011
Star Trek IV - The Voyage Home
もう、月も半ばになろうかとしていますが、皆さん、明けましておめでとうございます。
2011年。こうして文字(数字?)にすると、なんと未来に来たんだろうって改めて思わされるなあ。
俺なんかは、小学生の頃からノストラダムスの大予言を信じて「自分は27歳で地球と一緒に死んでしまうんや」って思ってたタチだったので、ガキの頃は、21世紀の世界や自分がそこに生きてるってことを想像した事が無かったイタイ子だった。五島勉は、全国の純粋な少年少女だった人達に、謝罪行脚するべきだと思う(笑)。
因に、予言の1999年7月には、実際は25歳だった。足し算もちゃんと出来ないくせに、何を終末論にかぶれてたんだろうか。
思春期に入ってからコッチは、もう殆ど自殺願望的なくらいに、勢いでやりたい事だけやって生きて来たから、実際30歳になった時、「あれ?俺30なのに、まだ生きてるやんか。」って、不思議な気持ちになった(笑)。
俺の記憶では、20世紀の日本には90年代に入って緩まったとはいえ、大きな意味で「流行」というものがまだあった。だから概ね皆、似た様な格好で歩いていたし、だからこそ「変な人」や「ダサイ人」という概念が存在していた。人はまだあの頃、ユニクロを着る事を拒否としていたと思う。最近は「国民服」なんて呼ばれてるみたいだけど。
でも、2001年にやって来た時のサンフランシスコは、似た様な格好をしている人なんて殆ど居ない街だった。ありとあらゆる人種が、ありとあらゆる年代のファッションで、いや年代すらも超越した、各々のスタイルで好きな様に暮らしていた。
それを見たときに初めて、Star Warsが何故あんな風に玉石混在の世界に描かれていたのか理解出来た。あれは、これのメタファーだったのかと。そして、あれから10年。最近急激にヤッピー達が増えて来て、街の景色が変わりつつあるが、それでもやっぱりこの街は相変わらず。写真の様なエキセントリックな人達で、今日も街は溢れかえってる。この街にエイリアンが紛れ込んでても、きっと誰も気がつかないと思う。
先日、初めてスタートレックを観た。きっと、知ってる人達にしてみれば当然の知識なのかもしれないが、俺はまず初めにビックリさせられた。舞台の23世紀の未来では、銀河を統べる宇宙艦隊の本部がサンフランシスコなのだ。あー、そうかもなあ、と、妙に納得。
このシリーズは66年の放送以来、テレビエピソード701話、劇場映画11作を数える壮大な物語で、今生きているアメリカ人のほぼ全てのジェネレーションがこの作品と共に育って来ていて、それ自体が一つのジャンルとも呼べる世界を形成している。実際、これを観て育った世代がNASAに就職し、今日の宇宙開発を牽引していると言ってもいいと、ある友人が言っていた。Star Warsが、科学的根拠を全く無視した「遠い昔の宇宙の何処か」のファンタジーであるのに対して、スタートレックは何処までもロジカルなハードSF。宇宙オタクのハートをガッチリつかんでいる。
俺が観たのは、初めてながら何故か劇場第4作目。舞台は23世紀の地球。ある時突然、未知の超巨大宇宙船が地球にやって来た。それは解読不能な信号を地球に向けて絶え間なく送ってくるのだが、その信号自体が非常に強力な波動であったため、海は蒸発し、気候変動を引き起こし、地球は突如壊滅の危機に陥る。返答しようにも手段が分からない宇宙艦隊だったが、その信号がクジラの鳴き声と酷似している事に気がつく。しかし、唯一の希望のクジラは乱獲のため21世紀に絶滅してしまっていた。
お手上げに見えた地球だが、ある解決策を思いつく。宇宙船を太陽に向かって放物線を描いて落下させ、その巨大な重力を利用して加速し、光速を超える事によってタイムトラベルして20世紀に戻り、クジラを連れて帰ってこようと言うのだ。
計画通りタイムトラベルは成功し、1986年のサンフランシスコに到着した一行だが、世界は23世紀のそれとはあまりに違い、戸惑うばかり。しかも宇宙船は燃料切れ。お金も一銭も持っていない彼等に、クジラを捕獲する事が、そして23世紀に戻る事が出来るのか?
初めてのスタートレックだというのに、映画の大半は80年代のサンフランシスコで、しかも反捕鯨問題を含む社会派で、ちょっと変な感じだったが、作品自体はとても面白かった。マニアの間では賛否両論の「らしくない」エピソードだったらしい。
彼等未来人(宇宙人1人含む)が、何の違和感も無く86年のこの街にとけ込んでいるのが本当に笑える。
途中、「これ実話か?」って思うくらい(笑)。
ケンさんが、Star Trek Blu-ray Box setを買って、「これから娘の教育です」と言っていた。
俺も再来年あたりから、子供と一緒に全エピソードマラソンしようかな。
あ、毎日1本観ても、2年かかるや。どうしよう。
Friday, December 31, 2010
Alex Grey - World Spirit
2010年が終わる。「何と形容したらいいのか分からない」そんな年だった。
子供の頃から今まで、殆ど恐怖症のように生活がルーチンに陥るのを極度に嫌って生きて来たが、それでも今年は今までのそれとは全く違った。
今まで集めて来たパズルのピースがカチャカチャとはまって行くような、そんな年だった。
狂おしい夏を経て、俺が今年最後に得たものは、嫁と子供だった。
今、子供は身長約4cm。
自分達の体の声を注意深く聞いた結果、今しかないというタイミングで思った通りに授かった。
言葉にすると、今まであまりにも語られすぎたテーマでチープに思えるが、やっぱり生命が宿るという事は神秘的だ。
一体、魂とはどこからやってくるのか?どのようにしてやってくるのか?
こんな根源的な疑問は、今まで沢山考えて来たけど、全く分からなかった。
でも、今ならなぜあの頃解らなかったかが分かる。今、それが何となく分かるからこそ子供が出来たと思う。
みんな、どうなんだろう?
俺の、この不思議な体験というか「理解」みたいなものを見事に表現している作品がある。
Alex Grey の "World Spirit"という作品。
Alex Greyは、ニューヨーク出身の画家。元は写実的な絵を描いたりしていたのだが、ある時のLSD体験を境にサイケデリックアートに傾倒して行く。生命の神秘に打たれた彼は、その後5年間ハーバードの解剖学研究室で働きながら人体に関する理解を深め、その知識に基づく人体の精密な描写が特徴の現在の作風を確立した。90年代のレイブカルチャーの隆盛と共に注目を集め、Nirvana, TOOL, Beastie Boys等のジャケットに彼の画が採用された事もあり、一般の知る処となった。
World Spirit は、彼の作品群の中から、命に関するものを中心に一連の流れを汲むものを彼自身の語りとともに観るもの。
「自分という人間の紹介」の第一部、資本主義の終焉を描いた第二部に続いて、受精の瞬間からの自分の誕生を描いた第三部、そして「死」の第四部という構成のライブパフォーマンスを収録したモノ。サンフランシスコの隣町、オークランドでのパフォーマンスを友達のヤスジが観に行っていて、「ちょっと宗教臭くて俺はダメでしたけど、凄かったです」と言っていたのを思い出す。
確かにニューエイジ的なモノは、ゼロ年代に入って毛嫌いされたし、レイブカルチャーは、あくまでオルタナティブであったが故にクラシックになり得なかった。俺もそれは仕方の無い事だと思うが、彼等の残した波紋は、今でも俺の中に確実に生きていて、日々の意思決定に影響している。
オーガニックに生きる事や、社会の声ではなく自分の声を聞く事、自然、宇宙、命、運命。
アレックスは、よくパーティーで見かけたし、何度か同じフロアに居合わせたりもした。草も一緒に吸った。
いつも決まってレザーのカウボーイハットを冠った彼は、鋭い目つきとは対照的な優しい物言いが印象的だった。
今年観た彼は、大きなコルセットのようなもので体を縛り上げて絵を描いていた。何処か体が悪いのだろうか?
偉大なアーティストの一人だ。いつまでも健康で、一枚でも多く素晴らしい作品を作って世界を啓蒙してほしい。
7年前、寛治がわざわざ日本から送って来てくれたこのDVDは、今年やっとその意味が分かった。ウチのDVD殿堂入りです。
今年、楽しかったな〜。忘れられない。
皆さん、よいお年をお迎え下さい。
Wednesday, November 10, 2010
人、それを映す鏡。
カウアイでは、6泊7日の旅行中、合計11回もヒッチハイクで移動させてもらった。島の皆さん、本当にお世話になりました。
島の中を走るバスは、一時間に一本。終バスは夕方6時という平和さ。しかも土曜の終バスは4:30、日曜に至っては休みなのだから、島に流れる時間の感覚は、言わずもがな。
そんな、タダでさえ移動が困難な島なのに、加えて一本しか無い国道は、なんと島を一周する手前で切れてしまっている。つまり、島の北側に行ったら、元来た道を戻るしか南に行く方法はない訳で、この不便さが島の自然破壊と観光地化を上手く防いでいる。
お陰で、こんなに小さな島なのに、実際歩くと、どこも途方も無く遠い。
「レンタカーを借りない」という選択は大正解だった。
お陰で、この島の持つ最大の魅力「人の優しさ」に触れられた。
この旅の間、俺達が出会った島の人達は一人の例外も無く優しかった。
普段、街での暮らしの中で俺達が自然と身に付けている自己防衛という名の鎧を、ばっさりと脱がされてしまったように思う。そんな重くて着心地の悪いモノは、この島では全く必要なかった。
何の警戒心も疑いも、欲も無く自然体で接してくる島民達と接していると、本来そうである自分達も、すぐに馴染んでしまった。
他人の思惑を気にせずに暮らせるという、当たり前の贅沢。
ステイ中に知った事だったが、どうやらこの島には捕食者となるケモノや、毒のある生き物が全くいないそうだ。どおりでそこに住む人々も毒っけゼロな訳だ。
やはり土地の気というのは、人に影響する。
人っ子一人居ない山奥で、トレールの入り口が分からなくて途方に暮れていた俺達を連れて、3時間も一緒に歩いてくれたマット。訊けばガイド本の編集者だという。あいつに会わなかったら、絶対にあの日のトレールは歩けなかった。ありがとう。
雨のにじむ小さいテントに無理して寝ていた俺達に、快く自分達の持っていたnorth face の高そうなテントを譲ってくれたマイケルとサラの二人は、wwoofという団体を通じて農場の仕事を探しに来ていた素敵なカップルだった。
お陰で、残りのステイは格段に過ごしやすかった。
ミネソタに行ったら遊びましょう。ありがとう。
何故かいつも何処でも閉店間際に駆け込む癖のある俺達を、これまた不思議なくらいどこも笑顔で迎えてくれた。
お陰で、何かが足りないなんて事で困る事は一度も無かった。ありがとう。
郡のキャンプ場を回っていた俺達は、毎朝違うキャンプ場で目が覚める暮らしだったのだが、何処に居ても毎朝同じおじさん達が掃除にやってくるので、仲良くなってしまった。
毎朝、昨日の旅の話をして、今日と明日の予定の話をすると、それについての情報をくれたり、別のもっと面白そうな場所の話をしてくれたりした。
時には嵐の情報もくれたため、予定を変更して難を逃れた事もあった。ありがとう。
ハナレイの街でブティックをやっているリズ、キャンプ場まで乗せて行ってくれた上に、キャンプ道具を置いてトレールに入ろうとする俺達を心配して、自分の家に荷物を預けて行けと言ってくれた。
彼女のお店に居た店員の子も同様に親切で、一つもモノを買わない俺達に、聞けば何でも教えてくれた。ありがとう。
他にも;
一時間もかけて旅の行程を一緒にたててくれた役場のおじさん、
頼みもしてないのにペットボトルに水を入れてくれたレストランのウエイトレス、
ビーチでバーベキューに誘ってくれたおじさん、
朝一で採って来たというスターフルーツを沢山くれたおじさん、
コーヒーをくれて、身の上話を聞かせてくれたホームレスのおばさん、
街を観たいならバックパックを置いて行きなさいと言ってくれたカフェオーナーのキャンディ、
そんな小さな親切に、一日に何度も数えきれない程出会った。皆、本当にありがとう。
この旅で、俺達が島から受け取ったメッセージは、「人とは己を映す鏡である」という事。
これらの出来事は自分達が島に心を開いたから起きているんだと言う、言葉にならない感覚を俺達二人が同時に感じた。
優しい人達が、本来の俺達を呼び出し、俺達がまたその人達をより本来の姿に近づけて行くという無限のサイクル。
この旅で俺達は、性善説は信じるに足ると思った。
大げさでも何でもなく、この旅の間、ただの一度も政治や戦争や経済や人種差別や貧富の差や法律などの、「本来存在しないもの」に気を紛らわされる事無く、ストレートな自分で居られた。それはignoranceでは無く、pureである事の結果に見えた。皆が、自分に満足して暮らしていれば、その共同体である社会もまたピースであるという当たり前の出来事が目の前で展開していた。
人間は今、大都市への一極集中や世界大戦等の20世紀の混沌、そして21世紀初頭のグローバリゼーションを経て、また新しい村社会を形成しようとしている。俺には、その動きはまるで、バビロンの街を築いてそこを去った人々のように見える。俺達は、これから何処の村に身を委ねようか。
もしかしたら、2012年って、そんな時間の流れのおそ〜い世界の事を言ってるのかもね。
島の中を走るバスは、一時間に一本。終バスは夕方6時という平和さ。しかも土曜の終バスは4:30、日曜に至っては休みなのだから、島に流れる時間の感覚は、言わずもがな。
そんな、タダでさえ移動が困難な島なのに、加えて一本しか無い国道は、なんと島を一周する手前で切れてしまっている。つまり、島の北側に行ったら、元来た道を戻るしか南に行く方法はない訳で、この不便さが島の自然破壊と観光地化を上手く防いでいる。お陰で、こんなに小さな島なのに、実際歩くと、どこも途方も無く遠い。
「レンタカーを借りない」という選択は大正解だった。
お陰で、この島の持つ最大の魅力「人の優しさ」に触れられた。
この旅の間、俺達が出会った島の人達は一人の例外も無く優しかった。
普段、街での暮らしの中で俺達が自然と身に付けている自己防衛という名の鎧を、ばっさりと脱がされてしまったように思う。そんな重くて着心地の悪いモノは、この島では全く必要なかった。
何の警戒心も疑いも、欲も無く自然体で接してくる島民達と接していると、本来そうである自分達も、すぐに馴染んでしまった。
他人の思惑を気にせずに暮らせるという、当たり前の贅沢。
ステイ中に知った事だったが、どうやらこの島には捕食者となるケモノや、毒のある生き物が全くいないそうだ。どおりでそこに住む人々も毒っけゼロな訳だ。
やはり土地の気というのは、人に影響する。
人っ子一人居ない山奥で、トレールの入り口が分からなくて途方に暮れていた俺達を連れて、3時間も一緒に歩いてくれたマット。訊けばガイド本の編集者だという。あいつに会わなかったら、絶対にあの日のトレールは歩けなかった。ありがとう。
雨のにじむ小さいテントに無理して寝ていた俺達に、快く自分達の持っていたnorth face の高そうなテントを譲ってくれたマイケルとサラの二人は、wwoofという団体を通じて農場の仕事を探しに来ていた素敵なカップルだった。
お陰で、残りのステイは格段に過ごしやすかった。
ミネソタに行ったら遊びましょう。ありがとう。
何故かいつも何処でも閉店間際に駆け込む癖のある俺達を、これまた不思議なくらいどこも笑顔で迎えてくれた。
お陰で、何かが足りないなんて事で困る事は一度も無かった。ありがとう。
郡のキャンプ場を回っていた俺達は、毎朝違うキャンプ場で目が覚める暮らしだったのだが、何処に居ても毎朝同じおじさん達が掃除にやってくるので、仲良くなってしまった。
毎朝、昨日の旅の話をして、今日と明日の予定の話をすると、それについての情報をくれたり、別のもっと面白そうな場所の話をしてくれたりした。
時には嵐の情報もくれたため、予定を変更して難を逃れた事もあった。ありがとう。
ハナレイの街でブティックをやっているリズ、キャンプ場まで乗せて行ってくれた上に、キャンプ道具を置いてトレールに入ろうとする俺達を心配して、自分の家に荷物を預けて行けと言ってくれた。
彼女のお店に居た店員の子も同様に親切で、一つもモノを買わない俺達に、聞けば何でも教えてくれた。ありがとう。
他にも;
一時間もかけて旅の行程を一緒にたててくれた役場のおじさん、
頼みもしてないのにペットボトルに水を入れてくれたレストランのウエイトレス、
ビーチでバーベキューに誘ってくれたおじさん、
朝一で採って来たというスターフルーツを沢山くれたおじさん、
コーヒーをくれて、身の上話を聞かせてくれたホームレスのおばさん、
街を観たいならバックパックを置いて行きなさいと言ってくれたカフェオーナーのキャンディ、
そんな小さな親切に、一日に何度も数えきれない程出会った。皆、本当にありがとう。
この旅で、俺達が島から受け取ったメッセージは、「人とは己を映す鏡である」という事。
これらの出来事は自分達が島に心を開いたから起きているんだと言う、言葉にならない感覚を俺達二人が同時に感じた。
優しい人達が、本来の俺達を呼び出し、俺達がまたその人達をより本来の姿に近づけて行くという無限のサイクル。
この旅で俺達は、性善説は信じるに足ると思った。
大げさでも何でもなく、この旅の間、ただの一度も政治や戦争や経済や人種差別や貧富の差や法律などの、「本来存在しないもの」に気を紛らわされる事無く、ストレートな自分で居られた。それはignoranceでは無く、pureである事の結果に見えた。皆が、自分に満足して暮らしていれば、その共同体である社会もまたピースであるという当たり前の出来事が目の前で展開していた。
人間は今、大都市への一極集中や世界大戦等の20世紀の混沌、そして21世紀初頭のグローバリゼーションを経て、また新しい村社会を形成しようとしている。俺には、その動きはまるで、バビロンの街を築いてそこを去った人々のように見える。俺達は、これから何処の村に身を委ねようか。
もしかしたら、2012年って、そんな時間の流れのおそ〜い世界の事を言ってるのかもね。
Friday, November 5, 2010
ハードコアなりきりターザンごっこ
北での山籠りの最中、さすがにフラストレーションが溜まる時もあったりして、取材が終わって山を下りたら絶対に何処か遠くへ行こうと心に決めていた。
それもどこか特別な場所に彼女と行こうと。一ヶ月も相手にしていなかったお詫びも兼ねて。
そんな事を考えてる時、一冊の本を見つけた。その本はアメリカの色んなショートトリップを紹介している本で、これから国内旅行を計画している俺には、思わぬ助けだった。
取材先に居たエリックが住んでいるという、ヴァージニア州のアパラチアントレイルも載っていた。いつでも遊びに来い、と先週誘われたばかりだ。それも良いか。
フォーコーナーズあたりの先カンブリア紀の地層がむき出しになった景色の中をゆっくり車で巡る旅は、俺の夢の一つだ。それも載っている。
そうして走り読みしていると、一枚の写真に釘づけになってしまった。
どれほどの距離が離れているのかさっぱり見当のつかないスケール感の狂った断崖絶壁が、エメラルドグリーンの原生林に覆われて、巨人ののこぎりのように真っ直ぐに青空を切り裂いている。熱帯特有の原色の世界。

何故かは分からないけど、その写真を見た時に理由も無く嬉しくなってしまって、この景色を彼女に見せようとその時決めた。
取材を終えて、ギアを満載にしたバイクで帰宅した後、そのままネットでチケットを買ってパッキングを済ませ、カウアイ島がどんな所なのかもよく分からないまま、びっくりしている彼女を連れ出して、次の日の朝SFを後にした。
5時間後、俺達は北回帰線の南に居た。2008年のグアテマラ取材以来の熱帯。むっとした空気に押さえつけられる快感。
純粋にトランジットの為に止まったオアフだったが、一日のステイをとっておいて良かった。というのも、その日のフライトを次の日と勘違いして憶えていたバカな俺達、一日散々島中グルグル遊び回った後、飛行機が飛び立つその時間、見事にホテルで乗り過ごしていた。
でもその時iphoneが助けてくれた。モノは試しとフライト変更してみたら、通るじゃないか。危ないアブナい。
翌日、もう一回フライトに乗り遅れるという大惨事を経て(本当にバカです)、でも30分遅れで無事カウアイに着いた俺達は、島で唯一の、街にあるホステルに投宿してみた。
元々、日本人宿の管理人をしていた彼女は、色んな宿を見るのが好きだ。
俺も安宿に居る連中が大好きだ。
世界中どこに行っても同じ事しか出来ない短期滞在のリゾート客と違って、その多くが長期滞在者である彼らには、興味の対象を他人や外に求めているという、人として最も求められる基本の姿勢が備わっていると思う。
この宿、ネットのレビューはメチャクチャに書かれていて不安一杯だったのだが、泊まってみたら感じの良い一般的な安宿だった。
オーナーのスライダーは、ちょっと偏屈だけどいいヤツだった。
子供の頃オアフに住んでいた時に日本語放送で観ていたキカイダーに憧れてマーシャルアーツを始めたという彼は、心優しいブラジリアン柔術使いだった。
彼は、喧嘩で耳を齧られてる白猫と、足の悪い老犬の二匹と一緒に、太平洋の真ん中の片田舎で、誰かが泊まりにくるのを今日も待っている。
ハワイ諸島は、太平洋プレート下にあるホットスポットが火山となってマグマを地表に押し上げている所を、プレートがその上を移動しているため、それとともに北西に向かって順番に出来上がった連続した休火山のチェーンだ。
一番西にあるカウアイは、すなわち一番古い。
カウアイは、その為浸食が最も進んでいて、断崖絶壁が至る所で無数の滝に削られて、険しい谷を作っている。
このワイメアキャニオンは、「太平洋のグランドキャニオン」と呼ばれている。
島の中央に位置する最高峰ワイアレアレに遮られて、貿易風はその含んだ湿気をココで全て雨として地表に落とすため、高地では通年雨が降り続き、地球上で最も降雨量の多い場所となっている。
三日目に行った、アラカイスワンプと呼ばれる湿地帯は、その真ん中に位置しており、実際にはその場に溜まった水が無いにも関わらず沼として扱われている、非常に珍しい場所だった。
しとしとと途絶える事無く降り続く雨の中、暑くもなく寒くもない空気は、体の内側と外側の境目が曖昧になる。そこをびしょびしょのまま、泳ぐようにトレールを抜けて行く。
環境に適応したものだけが繁栄して行くという当たり前の純粋な棲み分けが進んでいる原生林は、手入れの行き届いた植物園よりも美しい。
そんな奥地まで半日もの時間を潰して連れて来てくれたデイヴは、朝ご飯を食べに寄ったカフェで捕まえた。
自身の事を Info-holic と呼んでいた彼は、60歳をまわった今も好奇心旺盛で、何の質問をしても答えてくれ、俺達と一緒になって観光を楽しんでくれた最高のガイドだった。
彼は何の見返りを求めるでも無く俺達をキャンプ場に残してまた来た道を独りで運転して帰って行った。
つづく
それもどこか特別な場所に彼女と行こうと。一ヶ月も相手にしていなかったお詫びも兼ねて。
そんな事を考えてる時、一冊の本を見つけた。その本はアメリカの色んなショートトリップを紹介している本で、これから国内旅行を計画している俺には、思わぬ助けだった。
取材先に居たエリックが住んでいるという、ヴァージニア州のアパラチアントレイルも載っていた。いつでも遊びに来い、と先週誘われたばかりだ。それも良いか。
フォーコーナーズあたりの先カンブリア紀の地層がむき出しになった景色の中をゆっくり車で巡る旅は、俺の夢の一つだ。それも載っている。
そうして走り読みしていると、一枚の写真に釘づけになってしまった。
どれほどの距離が離れているのかさっぱり見当のつかないスケール感の狂った断崖絶壁が、エメラルドグリーンの原生林に覆われて、巨人ののこぎりのように真っ直ぐに青空を切り裂いている。熱帯特有の原色の世界。
何故かは分からないけど、その写真を見た時に理由も無く嬉しくなってしまって、この景色を彼女に見せようとその時決めた。
取材を終えて、ギアを満載にしたバイクで帰宅した後、そのままネットでチケットを買ってパッキングを済ませ、カウアイ島がどんな所なのかもよく分からないまま、びっくりしている彼女を連れ出して、次の日の朝SFを後にした。
5時間後、俺達は北回帰線の南に居た。2008年のグアテマラ取材以来の熱帯。むっとした空気に押さえつけられる快感。
純粋にトランジットの為に止まったオアフだったが、一日のステイをとっておいて良かった。というのも、その日のフライトを次の日と勘違いして憶えていたバカな俺達、一日散々島中グルグル遊び回った後、飛行機が飛び立つその時間、見事にホテルで乗り過ごしていた。
でもその時iphoneが助けてくれた。モノは試しとフライト変更してみたら、通るじゃないか。危ないアブナい。
翌日、もう一回フライトに乗り遅れるという大惨事を経て(本当にバカです)、でも30分遅れで無事カウアイに着いた俺達は、島で唯一の、街にあるホステルに投宿してみた。
元々、日本人宿の管理人をしていた彼女は、色んな宿を見るのが好きだ。
俺も安宿に居る連中が大好きだ。
世界中どこに行っても同じ事しか出来ない短期滞在のリゾート客と違って、その多くが長期滞在者である彼らには、興味の対象を他人や外に求めているという、人として最も求められる基本の姿勢が備わっていると思う。
この宿、ネットのレビューはメチャクチャに書かれていて不安一杯だったのだが、泊まってみたら感じの良い一般的な安宿だった。
オーナーのスライダーは、ちょっと偏屈だけどいいヤツだった。
子供の頃オアフに住んでいた時に日本語放送で観ていたキカイダーに憧れてマーシャルアーツを始めたという彼は、心優しいブラジリアン柔術使いだった。
彼は、喧嘩で耳を齧られてる白猫と、足の悪い老犬の二匹と一緒に、太平洋の真ん中の片田舎で、誰かが泊まりにくるのを今日も待っている。
ハワイ諸島は、太平洋プレート下にあるホットスポットが火山となってマグマを地表に押し上げている所を、プレートがその上を移動しているため、それとともに北西に向かって順番に出来上がった連続した休火山のチェーンだ。
一番西にあるカウアイは、すなわち一番古い。
カウアイは、その為浸食が最も進んでいて、断崖絶壁が至る所で無数の滝に削られて、険しい谷を作っている。
このワイメアキャニオンは、「太平洋のグランドキャニオン」と呼ばれている。
島の中央に位置する最高峰ワイアレアレに遮られて、貿易風はその含んだ湿気をココで全て雨として地表に落とすため、高地では通年雨が降り続き、地球上で最も降雨量の多い場所となっている。
三日目に行った、アラカイスワンプと呼ばれる湿地帯は、その真ん中に位置しており、実際にはその場に溜まった水が無いにも関わらず沼として扱われている、非常に珍しい場所だった。
しとしとと途絶える事無く降り続く雨の中、暑くもなく寒くもない空気は、体の内側と外側の境目が曖昧になる。そこをびしょびしょのまま、泳ぐようにトレールを抜けて行く。
環境に適応したものだけが繁栄して行くという当たり前の純粋な棲み分けが進んでいる原生林は、手入れの行き届いた植物園よりも美しい。
そんな奥地まで半日もの時間を潰して連れて来てくれたデイヴは、朝ご飯を食べに寄ったカフェで捕まえた。
自身の事を Info-holic と呼んでいた彼は、60歳をまわった今も好奇心旺盛で、何の質問をしても答えてくれ、俺達と一緒になって観光を楽しんでくれた最高のガイドだった。
彼は何の見返りを求めるでも無く俺達をキャンプ場に残してまた来た道を独りで運転して帰って行った。
つづく
Wednesday, September 8, 2010
めがね
自分というものをしっかりと維持して生きて行くのは、とても大事な事だ。そうでなければ、この競争社会を生き延びて行く事は難しい。油断していたら、脇が甘くなって失敗したり、最悪の場合、仕事を奪われたり失ったりしてしまう。仕事だけじゃない。年齢を重ねれば持ち物も、やらなければならない事も増え、それらに関する責任等も右肩上がりに増えて行く。法的な責任なんかも出て来て、とても一人で全部は対応出来なくなるから会計士や税理士、弁護士なんて仕事がもてはやされるのだろう。営業マンや、家庭を持っている人達なんて、俺の想像の範囲の遥か外側でその重責を担っていると思う。もちろん誰もが何となくそれに慣れて生活している訳だが、都市生活を営む上で、シンプルライフとは、ほぼ死語となりつつある気がする。
そのテンションを維持する為には、時には自分の意見を信じて疑わない堅固なエゴを持って臨まなければならない事もある。俺の様に、カリフォルニアのゆる〜い時間の中で生きていてもそれを思ったりするのに、ストレス社会の日本で働いてる人達はきっと大変だろう(と、書いていて気がついたが、俺がそのプレッシャーを感じているのは、日本から受けた仕事の時だけだな)。
「めがね」は、そんな都会の喧噪から逃れて南の島へ来た一人の女性タエコが、偶然泊まった宿で出会った人々との交流を通して、戸惑いながらもその凝り固まったエゴを脱ぎ捨て、リラックスした本来の自分を取り戻す、旅の物語。
彼女がそこを選んだ理由は、単純に「携帯の電波が通じない所だから。」う〜ん、分かる。日本に居て車屋だった時、昼夜となく鳴るお客からの電話にうんざりして、コッチに来た時に電話が無くて凄く生活がリセットできたと思った。懐かしい。そんな彼女は、いつでも価値判断の基準を自分に置いていて、それを疑うというアイディアすら持っていない。
宿に流れるスローな時間と自分とのギャップを不快に感じた彼女は、二日目にしてチェックアウト。無礼極まり無いのだが、本人のロジックでは当然だと思っている事が、態度にありありと出ていて可笑しい。結局は、後に戻ってくる訳なのだけど。
宿の人間とは言わず、近所の誰もが食べている浜辺のかき氷も、何度勧められても「かき氷は苦手なんで」の一言。その度に、それを美味いと知っている皆は、彼女の「やらかしちゃった感」を残念に思っている始末。
こういう、「走りすぎて擦り減った時」というのは、誰にでもあるのだろうか?
俺には、そんな覚えがある。メキシコを旅していた時、その旅自体をナメてかかっていた俺は、英語が全く通じない環境に相当なストレスを感じていた。ローカルの人達と全くコミュニケーションが取れない。話せる相手は宿に居るバックパッカー達だけ。靴磨きのオヤジにはスエードのブーツに表皮用のオイルをべったりと塗られてしまうわ、バスのチケット代はボラれるわ、どこに行ってもシャワーは冷たいし(メキシコは高地が多く、結構寒い所が多い)、とにかく頭に来てた。そこで、スペイン語を話さなければこの先ずっと楽しくないと確信し、学費が安いと噂だった全く未知の国グアテマラへ、旅もそこそこに、一気に南下した。
街に到着し、宿で紹介された学校に真っ直ぐに向かうと、ニコニコした受付の女性が対応してくれた。が、彼女、スペイン語でしか対応してくれない。今思えば当然の対応なのだが、その時の俺には、そんなことを思う余裕は全くナシ。スペイン語が話せないから勉強しに来てるのに、何でせめて英語で対応してくれないんだ?と、全くポイントのズレまくった怒りが湧いて来た。何とかかんとか頑張って入学費を払い手続きを済ませると、彼女が訊いて来た。
「どんなホストファミリーが希望ですか?」
今の俺ならきっと、「トラディショナルなインディヘナ(原住民)の家庭で、マヤ語や織物の勉強がしたい」とか気の利いた事が言えるのだが、その時の俺が見舞った一発は、なんと
「暖かいシャワーが出る所」
だった。あ〜、今思い出しても恥ずかしい。顔から火が出そう。我ながら本当に残念です。しかもそこで紹介されたお宅は確かに奇麗なお宅だったし、ホストマザーも素晴らしい人でしたが、ステイ三日目から三日間、高熱と下痢続きで寝込んでしまい、熱いシャワーもへったくれもありませんでした。。。。
そんなダメな俺にちゃんと看病してくれて、ホストマザーとその娘、そしてイヌのチェステルには、今でも感謝です。お陰で体調も回復し、学校でバリバリ勉強して、残りの旅は、一生心に残る素晴らしいものになりました。
これには後日談があって、2年前、その旅から丁度4年後に同じ街に撮影で行く機会があり、その家を訪ねるかどうか考えていた。しかしステイも短く、それほど美談と呼べる様なエピソードを残したわけでもない、何の変哲も無い留学生の一人だった俺が、今更突然顔を見せた所でどうだろう?と思っていた。そうして一週間程が過ぎ、ある現場でクルーとカメラを回していた所、何とあのホストマザーが突然そこを通りかかった。しかしこちらはインタビューの撮影中。私語は勿論厳禁だ。俺は精一杯のテレパシーを送ってみた。それが通じたのかどうか分からないが、彼女は撮影中の俺達を一瞬見た。でも、その時の俺は、髪の毛は腰上までありヒゲも生えていて、とても当時とは似ても似つかない風貌。頑張って会釈をしたら(当然現地には会釈等という習慣は無い)、向こうはちょっと不思議に思った様だが、コチラに笑顔を向けるとそのまま行ってしまった。あの時、お礼が一言だけでも言いたかった。。。。。。
旅って、いいよね。書いてたら何だか旅に出たくなって来た。夏が終わる前に、カウチサーフィンで一人旅でもしてみるかな。
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