Wednesday, November 10, 2010

人、それを映す鏡。

カウアイでは、6泊7日の旅行中、合計11回もヒッチハイクで移動させてもらった。島の皆さん、本当にお世話になりました。
島の中を走るバスは、一時間に一本。終バスは夕方6時という平和さ。しかも土曜の終バスは4:30、日曜に至っては休みなのだから、島に流れる時間の感覚は、言わずもがな。
そんな、タダでさえ移動が困難な島なのに、加えて一本しか無い国道は、なんと島を一周する手前で切れてしまっている。つまり、島の北側に行ったら、元来た道を戻るしか南に行く方法はない訳で、この不便さが島の自然破壊と観光地化を上手く防いでいる。
お陰で、こんなに小さな島なのに、実際歩くと、どこも途方も無く遠い。

「レンタカーを借りない」という選択は大正解だった。
お陰で、この島の持つ最大の魅力「人の優しさ」に触れられた。
この旅の間、俺達が出会った島の人達は一人の例外も無く優しかった。
普段、街での暮らしの中で俺達が自然と身に付けている自己防衛という名の鎧を、ばっさりと脱がされてしまったように思う。そんな重くて着心地の悪いモノは、この島では全く必要なかった。
何の警戒心も疑いも、欲も無く自然体で接してくる島民達と接していると、本来そうである自分達も、すぐに馴染んでしまった。
他人の思惑を気にせずに暮らせるという、当たり前の贅沢。
ステイ中に知った事だったが、どうやらこの島には捕食者となるケモノや、毒のある生き物が全くいないそうだ。どおりでそこに住む人々も毒っけゼロな訳だ。
やはり土地の気というのは、人に影響する。


 人っ子一人居ない山奥で、トレールの入り口が分からなくて途方に暮れていた俺達を連れて、3時間も一緒に歩いてくれたマット。訊けばガイド本の編集者だという。あいつに会わなかったら、絶対にあの日のトレールは歩けなかった。ありがとう。

雨のにじむ小さいテントに無理して寝ていた俺達に、快く自分達の持っていたnorth face の高そうなテントを譲ってくれたマイケルとサラの二人は、wwoofという団体を通じて農場の仕事を探しに来ていた素敵なカップルだった。
お陰で、残りのステイは格段に過ごしやすかった。
ミネソタに行ったら遊びましょう。ありがとう。

何故かいつも何処でも閉店間際に駆け込む癖のある俺達を、これまた不思議なくらいどこも笑顔で迎えてくれた。
お陰で、何かが足りないなんて事で困る事は一度も無かった。ありがとう。

郡のキャンプ場を回っていた俺達は、毎朝違うキャンプ場で目が覚める暮らしだったのだが、何処に居ても毎朝同じおじさん達が掃除にやってくるので、仲良くなってしまった。
毎朝、昨日の旅の話をして、今日と明日の予定の話をすると、それについての情報をくれたり、別のもっと面白そうな場所の話をしてくれたりした。
時には嵐の情報もくれたため、予定を変更して難を逃れた事もあった。ありがとう。

ハナレイの街でブティックをやっているリズ、キャンプ場まで乗せて行ってくれた上に、キャンプ道具を置いてトレールに入ろうとする俺達を心配して、自分の家に荷物を預けて行けと言ってくれた。
彼女のお店に居た店員の子も同様に親切で、一つもモノを買わない俺達に、聞けば何でも教えてくれた。ありがとう。

他にも;
一時間もかけて旅の行程を一緒にたててくれた役場のおじさん、
頼みもしてないのにペットボトルに水を入れてくれたレストランのウエイトレス、
ビーチでバーベキューに誘ってくれたおじさん、
朝一で採って来たというスターフルーツを沢山くれたおじさん、
コーヒーをくれて、身の上話を聞かせてくれたホームレスのおばさん、
街を観たいならバックパックを置いて行きなさいと言ってくれたカフェオーナーのキャンディ、
そんな小さな親切に、一日に何度も数えきれない程出会った。皆、本当にありがとう。

この旅で、俺達が島から受け取ったメッセージは、「人とは己を映す鏡である」という事。

これらの出来事は自分達が島に心を開いたから起きているんだと言う、言葉にならない感覚を俺達二人が同時に感じた。
優しい人達が、本来の俺達を呼び出し、俺達がまたその人達をより本来の姿に近づけて行くという無限のサイクル。
この旅で俺達は、性善説は信じるに足ると思った。

大げさでも何でもなく、この旅の間、ただの一度も政治や戦争や経済や人種差別や貧富の差や法律などの、「本来存在しないもの」に気を紛らわされる事無く、ストレートな自分で居られた。それはignoranceでは無く、pureである事の結果に見えた。皆が、自分に満足して暮らしていれば、その共同体である社会もまたピースであるという当たり前の出来事が目の前で展開していた。
人間は今、大都市への一極集中や世界大戦等の20世紀の混沌、そして21世紀初頭のグローバリゼーションを経て、また新しい村社会を形成しようとしている。俺には、その動きはまるで、バビロンの街を築いてそこを去った人々のように見える。俺達は、これから何処の村に身を委ねようか。

もしかしたら、2012年って、そんな時間の流れのおそ〜い世界の事を言ってるのかもね。

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