Friday, July 30, 2010

The Great Happiness Space


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 昨晩は、ケンさん家でロシアンルーレットDVD鑑賞会が勃発。DVDチェンジャーに5枚の中身不明のDVDをぶち込んで、ランダムに観てみるという野蛮な試み。亮君も途中参加で始まった映画のタイトルは、「The Great Happiness Space - Tale of an Osaka Love Thief」だった。

  2006年大阪。ナンバーワンホストと、彼を巡る多くの女性客達との疑似恋愛の、奇妙な夜の世界を切り取る中で見えて来た、人間の不思議な心理を捉えた秀逸なドキュメンタリー。一晩で30万40万というお金を落として、全く生産性のない時間を買って行く女性客達。彼女らは、ただ「自分を必要としてもらいたいという気持ち」からホストクラブに通い、売り上げという形で目当てのホストにお金を貢いで行く。しかしそこには当然他の客も居る訳で、より大きなお金を落とす事で他より抜きん出ようと言う、「お金の他に何か価値観を見いだせるような目立ち方知らんのか?」と叫びたくなる様な悲しい競争心を持ってお互いのドラマが螺旋の様に回って行く。あちこちで抜かれるシャンパン。

 彼女等の大半は風俗嬢だ。仕事について訊かれると、彼女等は皆そろって自分達の仕事は「慰め」「癒し」「奉仕」だと言う。大阪という巨大都市に巣食う様々なストレス、人間関係や家庭の問題などの、数えきれない人達が作り出した複雑に絡み合った目に見えない重荷を、末端で処理している人達。

 彼女等はセックス、つまり本来愛情を持った者同士がその愛の確認の為に行う行為を生業として生きている為、セックスという行為の中に愛情の確認が出来ない。だから逆に、セックスしてくれないホストにプラトニックな恋心を持ってホストクラブに通ってしまう。
仕事に行けば、愛情に飢えた人々が彼女等の元に押し寄せ、愛を乞い、彼女等の体に寂しさをぶつけて帰って行く。他人の寂しさを受け取り、擬似的にでも自分の愛情をふりまいた彼女達は、しかも実際のところ必要とされているのは体であって、彼女達自身ではない事も知っている。体というハコは引く手数多なのに、中身は誰にも求められていないという現実。孤独を抱えた彼女等は、自分達の思う理想の恋愛像を具現化してくれるホストの元に通い、自分に欠けているもの「人に求められているという事」を自らお金で買いに行く。そうする事でストレスを落として行く。つまり彼等ホスト達こそが、この社会の全てのドラマの終着点、末端なのかもしれない。

 ナンバーワンの彼は、「客の女性が求める自分」を演じながら生きているうちに、何が本当の自分なのか分からなくなってしまったと言っていた。自分を見失う程にサービスに全霊で取り組む彼は、究極のボランティアだと思う。他の全ての人のようなストレスのアウトプットを持たない彼等は、驚く程自分達のやっている事にアウェアで、かつ真面目にそのサービスに取り組んでいる。その真面目さがかえって彼等の扱っている「孤独感」という商品の深刻さを浮き彫りにしていて、「人間って一体、どうしてコミュニケートしたいんだろう?傷つけ合うのに。」と考えさせられた。

でも、傷つけ合えるくらい真剣に相手と向かい合えるのは、人として優しく、立派な事だとも思う。仮に、彼等の様に全てが嘘だという大前提があったとしても、相手がそれを必要としていて、自分がそれを与えられるなら。

俺には無理だけど。そんなの意味無いし。
同じ傷つけ合うなら、建設的に行きたいよね。

Monday, July 26, 2010

COOL

友達の家でだら〜っとハングアウトしてる時に、完全に自分を投げ出して、ホストにお任せ〜な感じでリラックスするのは最高に気持ちいい。そんな時こそ、ホストのセンスとサジ加減でその夜の気分も変わるもの。
先日は、普段プレステ3のcall of duty, world at warのゾンビモードでゾンビ殺しばっかりやってる(この国では、ナチと日本兵は何の罪悪感も無く殺していいのか?)友達が、珍しく「何かかけますか?」とか言いながらDVDを入れた。それがこれ、Miles Davis at Isle of Wightだった。



1970年8月29日、夕方5時にステージに現れたマイルスに、観客が「何を演るんだ?」と訊いた。
それに答えてマイルスが言った曲名は "Call It Anything." (何とでも呼べ)。
そこから始まったセッションは、メンバー全員完全に宇宙と交信中。
これが5.1chで聴けるんだから、良い時代になったもんだ。
しかし、当時は最終的に製品化する段階で必ずステレオに成る事しか想定されていなかった筈なのに、こうして今5.1chにリミックス出来るってことは、音源がマルチトラックのまま残されてたって事なのかな?もしそうだとしたら、音楽業界の人達は先見の明があると思うし、自分達の作品の価値にアウェアだと思う。文化遺産だからね、こういうのは。

White widow に、強めのコーヒー、Miles Davisな夜。ケンさん、ぶっ飛ばされました。

Wednesday, July 21, 2010

Bomb It!



ウチの近所 mission地区は、もともと中南米コミュニティだった所。当たり前だが街というのは、そこに住む人々によって作られているので、嫌が上にも彼らのニーズが反映される。だから、この近所は生活感が一杯。白人のコミュニティの様な洒落たスーパーなど無く、その代わり小さなグロッサリー(野菜や雑貨が置いてある商店)が沢山あり、通りにはヤシの木が並び、いつも買い物袋を下げた家族連れが溢れている。そんな中米の猥雑な雰囲気と暮らしやすさに惹かれて、ここには昔からアーティスト達が一杯住んでいる。

メキシコ+アート=グラフィティ

アステカ帝国の昔からメキシコは壁画が有名で、ピラミッド内部の壁画やディエゴリベラの描いた巨大な壁画等を旅行中色んな所で見た。しかも向こうの人達は自分の家を思い思いの色に塗るのが風習みたいで、お互いどっちがより派手なのかを競っているかのように色とりどり。丘の上から街を見下ろすと、モザイクのように奇麗だ。そんな彼らの地元に比べると、アメリカの街は地味すぎる。都市景観条例などの「この街は一体誰のもの?」と思わされる不思議な法律のお陰で、目に飛び込んでくる情報といえば企業の看板か商品広告ばかり。そこに暮らす人々は、常日頃から「買え買え光線」に晒されながら生きている。だから、故郷と同じ様に、大きな立体駐車場や学校の壁一面に壁画を描くのは彼らにとってごく当たり前の事だった。彼らラティーノの描く題材は、格差や労働、故郷、平和など社会的なトピックが多い。内戦の長く続いた彼らの故郷では、皆が通る街角に描かれる壁画とはコミュニケーションツールであり、啓蒙の為のツールであり、そして教育のツールでもあったのだ。ウチの目の前の壁にもcezar chavezrigoberta menchuが大きく描かれている。

だから、この街が壁画で溢れかえる様になったのは、ごく自然な流れだった。会った事も無いどこかの誰かが発信する、自分とは関係ない水着の女の商品広告などよりも、自分達にとってもっと重要で語り継いで行くべきものを、一番目立つ所に描く。そういった道徳がこの街の景色を作り上げて来た。そしてその伝統は、そこに移り住んできた新しい住人=アーティスト達に引き継がれ、彼らが自分達の作品としてグラフィティを描く様になって行った。だから、近所はどこもグラフィティだらけ。というのもこの街、落書きされたビルは、オーナーの自腹で塗り直しが件の都市景観条例で義務づけられてて、派手にやられると本当に笑えない損害がでる。問題になっているのはタグ(名前の落書き)。良いグラフィティの上にはタグを書かれないというグラフィティ業界(?)の暗黙の了解を逆手に取って、タグ防止の為にも逆に役立つという副作用を狙ってビルオーナー達はグラフィティを勧めたりしてる。これが覿面に効果を現したものだから、この辺りは日に日に上質なグラフィティが増えてきて散歩が楽しい。もちろんそういったオーガナイズされたものもいいけど、ゲリラ的なグラフィティの持つリアルな力みたいなものも好きなのだけれど。

そうした、行き過ぎた大量消費社会に対する反抗だとか自分達の民族的なアイデンティティの誇示、または単純な創作意欲がグチャグチャに混ざり合ってサンフランシスコのグラフィティシーンは一つの世界を作り上げてる。それはこの街に限らず世界中で起きている事の一部なのだと知ったきっかけが、この映画 Bomb It! だった。ドキュメンタリーとしてはしごく基本的な構成で、ビデオクルーが世界中を回って有名グラフィティーアーティスト達にインタビューを撮って回るという内容なのだけど、なにせ被写体それ自体が既にヴィジュアルアート。それが持つ力が凄いもんだから、とにかく画面に圧倒される。そしてこの映画が捉えたグラフィティの今とは、アメリカナイゼーションを通過した後、各地方の土着の文化と結びついてその本来のユニークさを再発見するという、グローバリゼーションの今の姿と符合するものだった。

グラフィティ好きなら、是非どうぞ。ちなみにこの本もいいですよ。

Saturday, July 17, 2010

The Wrestler



ミッキーロークって、こんなに凄い役者だったっけ?
と、映画評に書かれてたのは、何度も目にしていた。でも、ミッキーロークでしょ?って思ったのも事実。nine halfの濡れ役やAngel Heartでのロングコートを着た優男、ランブルフィッシュでのにやけた喧嘩のつよい兄貴役、Harley Davidson & Marlboro Manのバイク乗りなど、これまでの彼の役所はいつも「何だかこいつ、自分の事勘違いしてねえか?」と思わされる役ばかり。そこへきて、例のプロボクサー転向&猫パンチ事件。俺はてっきり彼はケビンコスナーと同類の、自分の事を大きく見せたいヤツだとばかり思っていた。でも、確かに予兆はあった。Sin Cityで見たミッキーは、以前とはまるで別人だった。大きな顔に、腫れ上がった筋肉質の体。声はしゃがれて、聞き覚えのある甘いささやきは何処かへ消えていた。「お?」と思ったものの、特殊メイクで覆われた顔からは、本当の姿を伺うのは難しかった。
しかし、今回は話が違った。役は、年老いたレスラー。しかも、マイナーなレスラーだった。

 主人公Randy "the Ram"は、80年代に一世を風靡したレスラー。しかし20年の月日は容赦無しに現実を彼に突きつける。かつては大きなホールを満員にした彼も、今は三流のマイナー団体に所属して、地方のファンをわずかに喜ばせているだけだった。しかし、どんなに生活に困窮しようとも集客が小さくなろうとも、スポットライトを浴びる事が彼にとって全てだった。観客の前でリングに立つ。そのために家族も顧みずにここまでやってきた。しかし、気がつけば独り。かつての栄光は影を潜め、トレーラーハウスの家賃も滞納する現実。
体を持たせる為に薬物に頼り、日サロに通い、髪を金髪に染め、自分が白人のアメリカンであるという現実とは違うアイデンティティを作り続けていく毎日。そのイメージこそが彼に求められている姿だと、彼は知っている。だがある日、彼の心臓が悲鳴を上げた。
気がつくと病院。医者は彼に引退を宣告する。もともと潮時を感じていた彼はそれを受け入れ、華々しい世界を去り、遅過ぎる社会人としての再出発を切る。何とか手に入れたスーパーの食肉売り場での代わり映えのしない毎日。しかし安定しかけた生活も、些細な事が原因で、すこしづつ歯車が狂っていく。夢を追って生きて来た自分には、無理矢理一般社会にはめ込んだ今の自分は、受け入れるには惨めすぎた。。。。

 「夢に向かって生きる」というアイディアは、現代に生きる俺達にはごく聞き慣れたものだし、それに対して全身全霊で取り組んでいる人も居れば、諦めた人も、そういう考え方自体に懐疑的な人も居る。でも、大なり小なり誰もが頭の片隅に意識しながら日々の生活をおくっているとも思う。それはあまりにも俺達の社会に浸透していて、無視する事は無理ではなかろうか。
でも、この「夢に向かって生きる」とか「自己実現」とかいうアイディア自体が実は比較的新しいものなんじゃないかと思う。
グアテマラの山奥やホンジュラスの離島等、メディアの影響の届きにくい僻地を旅して思うのは、人々はただ必死に生きているという事。勿論子供達に訊けば、先生になりたいとか医者になりたい等の答えが返ってくるのだが、それは基本的に暮らしがベースにあっての夢なのであって、何か遠い世界の見聞きしたものを夢見ている訳では無い。

こういった夢を追うという生き方は、アメリカが広めたものだ。
"American Dream"
この国では人々は皆、何かに成る為に生きている。大学進学率は60年代以来、過半数を超えている。つまり、半分以上の人々が「何者か」に成る為に努力しているという事だ。
このような社会では、自己実現を果たした人は賞讃され、そうでない人々は夢の燃えカスを抱えながら余生をおくる事に成る。

 こう書きはしたものの、2000年をまわったあたりから様子が変わって来たのを俺はじっと見て来た。俺が着いたばかりのアメリカは、分業化が社会の隅々まで行き渡り、プロフェッショナルでなければ生きていけない厳しい社会だった。でも、サンフランシスコはそういった流れを嫌って「小さい社会」を目指して進化していた。自転車ベースの移動に、バーターを勧め税金を可能な限り生活から排除し、ガレージセールや物々交換、ゴミの再利用をすすめてきた。街にはインディペンデントなイベントやギャラリーが増え、バンドも地元のハコで続けている。メジャーとアングラの境界は無く、意外と有名なアーティストが普通に街で落書きしていたりする。
日本に帰る度に思うのは、新しい技術を生活に無理なく取り入れて進化しているという事。2年ぶりに帰ったりすると、見た事も無いサービスが浸透していたりして驚かされる。俺にとって日本は22世紀だ。
一方、この街は別の意味で未来を走っている。50年代の黄金期を経て、物質的な豊潤を貪りながらアメリカ社会は衰退の一途を辿って来た。社会とそこに住む人々は、今の日本が経験している行き過ぎた個人主義や所得格差、地方都市の人口集中やドーナツ化現象などの問題を一足先に経験したある意味成熟した社会なのだ。
ハレとケを共に通り過ぎ、アメリカは今、黄昏の時を迎えている。

都市部に自然発生した村社会、サンフランシスコ。それは日本の未来の姿を示唆しているのかも知れない。


 

Tuesday, July 13, 2010

うる星やつら2 "The Beautiful Dreamer" / Shutter Island



 久しぶりに覗いたビデオ屋に、これが新作コーナーに何故か紛れて置かれていた。何故に?と興味本位で手に取ったのだが、遠い昔に、この映画は他のうる星やつらとは違うという話を聞いた事があったのを思い出し、「お薦めしません」というビデオ屋の忠告を他所に、バカは二度海を渡るというモキュメンタリーと一緒にそのままカウンターで払いを済ませた。

 なぜか最近うちでは、クローネンバーグのExistenzやスコーセッシのShutter island等の、リアリティーを捻ってとらえた映画達が続けざまにやってくる。日本でサイケデリック文化が隆盛を極めた90年代はじめから中頃に、この手の映画は片っ端から観まくった。Blade Runnerに始まり、AKIRA、12モンキーズ、バニラスカイやダークシティ、未来世紀ブラジル、カフカ、古いものではJacob's Ladderなど。共通しているのは全て「リアリティとは、脳が作り出しているものであって、それ自体ではない」というテーマで作られている事。
時代的にはこれらの映画と丁度同じ時期に作られた本作は、アニメであるにもかかわらず、それらに引けを取らない強烈な映画だった。

 高校を卒業した俺は、必死に働きながら日々を暮らしていたが、同時に疑問を感じていた。学生の時分はあんなに輝いていた毎日が、社会に出た途端に同じ事の繰り返しの日々となり、あんなに長かった一年が、あっという間に流れていく。気がついたら5年も働いていて、何も変わってない。これは一体何だ?何かがおかしくないか?
体の内側から押し寄せる成長ホルモンに押され、リアリティを求めて飛び出した街では、サイケデリックドラッグと音楽が渦を巻いていて、自分と同じ疑問と正面から向き合う仲間達がうねりに身を任せていた。そこでは、大地のリズムが爆音で轟いていた。乾いた四つ打ちのリズムは自分が子供の時から馴染んだ宇宙のリズムだった。チープな誰か知らない人の自己主張など要らない。もっと大きい不動のリズムと共に生きている感覚。共時性。
そんな時代だった。毎週どこかの山奥ではパーティーが開かれ、街に居る時にはヘッドショップでキノコが合法で買えた。90年代の日本は、もしかしたら60年代のアメリカよりもサイケデリックドラッグを消費したんじゃなかっただろうか?俺達は夢中だった。このまま精神の力で加速していって、リアリティをぶっちぎるんだと思っていた。毎日が凄く刺激的で、夏が一年の核をなしていた。しかしその一方、1999年や2012年といった終末論者達の指すゴールが、すぐそこに待っているのを俺達は横目で気にしていた。

 これらの映画は、その頃に封切られたものが多い。俺達は、その歪んだリアリティを側面から眺めたりしながら楽しんだ。当初サイバーパンクに代表されるこの手のストーリーは、JMやトータルリコールのように決まって最後に主人公が世界や宇宙や時間や、ひいては存在すらも救ったりする痛快な娯楽だったために、抵抗無く受け入れられた。しかし映画とはいつも、時代を映す鏡。エンディングに陰の有るものや、オープンエンディングとして制作者自体が答えが分からないという事を公にしてしまう映画が段々と増えてきて、この社会全体に黄信号が点滅している事を伝えていた。
そんな中、俺の周りでも一人また一人と、自ら命を絶つ者も出て来た。
俺達の掲げたユートピア像と現実の軋轢が、大きな陰となって頭上を覆っていた。何事も納得するまでやってみたい性分の俺は、そのライフスタイルが継続出来ない事を悟り、日本を捨てた。アメリカなら他人に邪魔されず、思った事を気の済むまで試せると思った。他人の力でそれを邪魔されたならば、俺も死んでしまうかもしれない。マヤの人々が時間の向こうから手招きしている。嫌だ。
それだけが、俺に残された生き残る方法だった。

 結果、俺の選択は正しかったと思う。俺は、自分の信じるリアリティを追求し、旅をして、人に会い、答えを得た。今振り返ってみて、悔いは無い。ある部分俺が正しかったし、ある部分は間違っていた。ただ、それは正面から社会に向かって吠えたからこそ得られたものなのであって、あのまま日本に居たら、きっと今頃まだ、自分の理想を正当化する作業に腐心していたと思う。当時の友達の中にはまだ、それを続けている者も居る事を、ブログ等を通じて目にする。田舎暮らしやオーガニックも良いけれど、それは既に、70年代にヒッピーの残党がアメリカでやってみせた事で、それが何も変える力が無かった事を、時代が証明している。
ヒッピーイズムは結局、情報過多に対する拒否反応みたいなものだと思う。知らない人が多すぎて飽和状態だから田舎へ。家賃が高くて家は小さいし、不動産を買うのはナンセンスだから田舎へ。食品の流通が不透明で怖いから自給自足へ。どれも納得出来るし、恐らく俺も日本に今住んでいたらそうするかもしれない。けれど、それって目線は内側に向いているんじゃないかな?と思う。

 そういった、内向きのユートピア思想こそが、このうる星やつら The Beautiful Dreamerの主題で、押井守は当時既にその思想にNOを出していた事が、映画から観てとれる。学園祭の準備に追われるアタルやラム達おなじみの仲間。しかしそのお祭り気分の中に、何かおかしな空気を感じる者達がちらほらと出てくる。もしかして、俺達はもうずっと前から学園祭前日というこの日を何度も何度も繰り返し生きているんじゃなかろうか?学校の外の街の人達は姿を消し、俺達はただいつまでも友達と楽しくやっていくだけ。。。。。

 結局人間は、どこまで行っても他人と関わり続けなければ生きていけないし、その中に喜びや輝きを見いだせなければ生きていけない。そしてそれは、知人との閉鎖的な輪の中には存在せず、いつも理解しがたい他人との接触を昇華したときにこそ見つかる宝なのだ。

Monday, July 12, 2010

Children of Heaven



 昨夜は、結局亮君は、SF Independent film festival のエキシビジョンとして行われているライブを観に行ってしまい(しかも途中で気が変わって行かなかったらしい)、イブは家でゆっくりしたいという理由で、残念ながら吸血少女VS少女フランケンは次回に持ち越しとなった。あの映画を一人で観に行く程B級映画ファンという訳でもないので、俺は仕方なく家でハードドライブの整理と映画を観ることにした。

 こんな寒くて友達も誰も居ない独りの夜は、優しい映画に限る。
大人な世界や、それに絡むいろんな事情、街の暮らしに疲れた時に、俺はよくイランの映画を観る。
実際行った事が無いのでこうだとは言い切れないけど、イランの人々は恋の告白に詩を詠む習慣があるほど繊細な文化と感性を持ち合わせていると聞く。その真偽の程は別として、イランの映画を観るたびに、それはまんざら嘘でもなかろうな、と思う。
ランダムに選んだイランの監督達の作品は、どれも何とも言えない優しさに溢れていて不思議な統一感を共有している。
今夜の作品 Children of Heavenも、そんな作品の一つだった。

 主人公は恐らく小学校高学年の兄妹。二人は進んで家事をこなす、よく出来た子供。
一方、彼らの父親は稼ぎも無く、それを家族に八つ当たりするダメなオヤジ。子供達二人は彼の目を気にして暮らしている。
そんなある日、兄は買い出しの途中で、修理を済ませたばかりの妹の靴、しかもたった一足しかない靴を無くしてしまう。
明日から学校に履いて行く靴が無い妹と靴をシェアする事を兄は思いつく。それこそが、新しい靴を買う余裕もない彼らの唯一の方法だった。午前中は妹が履いて学校ヘ行き、放課後走って待ち合わせ場所へ急ぎ、兄と靴を交換してサンダルで帰る。
そんな付け焼き刃の嘘は、何度かの衝突を経ながらも、上手く行っている様に見えた。
しかし、そんな誤摩化しは永遠には続かない。
兄のスニーカーは擦り減り、汚れていく。妹はそれを恥ずかしいと感じるようになり、それを観た兄は、何とか彼女に靴を手に入れる方法を考えていた。そして。。。。。

 ハリウッドに毒されていない人々というのは、こんなにも慎ましく純粋で居られるものかと、嫌でも思わされる世界観。
子供の頃、ただの鉛筆一本でも、お気に入りのものを見つければ、ずっとハッピーで居られたあの頃。
別に決して「子供の頃が一番良かった」なんて話ではなくて、子供の頃の自分は今でも自分の一部なのであって、今も共にココに居るという感覚を、はっと気づかされた。人間は歳を重ねると子供の頃の記憶を無くしていく生き物だ。その時、人によっては生まれながらの自分の嗜好とは違うものに目を向ける人や、またそれをサバイバルの方法として敢えて身に纏う人も居る。特に俺たち80年代に少年時代を過ごした世代は、テレビというメディアから一元的に情報を与えられて生きて来たため、そういった人間が多い。「カッコイイ」は基本的にテレビや雑誌から与えられるもので、それをほぼ全ての国民が共有しているという共同幻想の中で俺達日本人は、長い事生きて来た。その枠組みの外側に、「自分のカッコイイ」を標榜するものは敵とされた。理解出来ないものは、不快なモノ。そういった不自然な価値観は当然色々な歪みを生んで、バブルの狂乱と相まって、90年代のいわゆる失われた10年を形成していった。
猿岩石に代表される「自分探しの旅」が共感を呼んだのは96年、俺が22歳。オウム事件が起きた頃だった。
見境無く垂れ流される情報とは暴力であり、テレビの様に内容も知らせずに情報を受け取らせる行為は、マインドに対するレイプに他ならない。インターネットの解放によって、今の子供達はきっと、その生来の資質を見失う事無くまっすぐに伸びていけるだろう。情報という意味において、彼らには俺達には無かった選択の自由がある。それは社会の成熟を示していて、それを理解する事が出来ない大人たちを尻目に、堂々とこの世界を受け継いで欲しい。

 最近、要らないモノをどんどん捨てて究極までシンプルになろうとしてる中で、そんな子供の頃の自分の存在を、自分の中にボンヤリと感じて手探りで探していたところだったので、この映画を観てスパッと決まった感じがした。
あの頃の自分に、色んなものをくっつけて今まで生きて来た。
でも、一度纏ってみなければ、それが自分に合うのかどうか、分からない人達ってのも居るんだよ。

Sunday, July 11, 2010

ロボ芸者!!



 予告どおり昨日の晩、ロボ芸者観て来た。
いや〜、凄かった。想像を遥かに超える仕上がりで、爆笑爆笑また爆笑。とにかく最初から最後まで笑いっぱなし。こんなに笑わせてて、最後まで持つのか?と途中心配になったけど、一気に最後まで引きずり上げて行く力技に脱帽だった。
しかも、所々突然挟んでくる、ジーンとさせられるシーンやホロリとさせられるシーンで、アメリカ人の観客達がモノの見事に手玉に取られてるのを後ろから見てたら、それがまた可笑しくて。いやいや、あんた達今ちょっと感動してるみたいやけど、画面よく観てみ?ロボットの芸者やぞ?何を黙り込んで感動してるんよ(笑)。

 芸者はもちろんの事、悪徳政治家、拉致問題、企業幹部の無意味な謝罪、天守閣、巨大ロボ、安いドラマ、マーシャルアーツと日本文化をこれでもかと自虐笑いに昇華しまくってて最高。
物語は、悪の秘密組織に体を改造され特殊能力を手に入れた主人公が、その己の力で組織に立ち向かうという、まんま仮面ライダーのパクリ。しかもその主人公は意地悪な姉に折檻されながらも、大金持ちの御曹司に見初められ、、、と、シンデレラのパクリもあり。俺たち昭和世代が見せられ続け、頭に嫌というほど刷り込まれて来たお決まりのパターンを、これでもかと使ってくる。脱帽。

今日はまた9時から、「吸血少女対少女フランケン」同じメンバーで攻めてきます。

Saturday, July 10, 2010

medicine for melancholy


今日の映画は、Medicine for Melancholy。

 去年公開のインディペンデントフィルムで、舞台はサンフランシスコ。
パーティーで出会った二人が、one night stand を経て、またお互いを理解して行く一日を綴ったラブストーリー。
これといった大事件も起きないし、これといったヤマも無く、オチも決まって無いし、別に意味も無い、まさにヤオイな(?ボーイズラブでは無い)映画なんだけど、これが結構いい。サンフランシスコの持つ何とも言えない時間の感覚みたいなものが、しっかりとフィルムに焼き付いてる感じが凄くいい。
二人の家はテンダーロインとマリーナ、自転車でダウンタウンへ出かけて、ミッションのバーでハングアウト。どこもおなじみの街角。
画面に映るサンフランシスコが、確実にこの映画に一つのキャラを与えていて、うならせる。
極端に少ない登場人物と、寄ったカメラのせいで、もの凄く窮屈な世界観なんだけど、だからこそ時折挟まれる街の景色が際立って、思わず見入ってしまう。
 
 フィルム、といったけど、この映画実は全編HD video。Panasonic の HVX200にニコン35ミリレンズ用のアダプターを付けて撮ってある。
全編の内、半分くらいはクローズアップじゃねえか?と思わせる程、画面一杯に二人の顔が映し出されるんだけど、このレンズと敢えて選んだ720Pの記録フォーマット、そして敢えて外しまくったフォーカスのお陰で輪郭が随分柔らかく撮れてて、全然イヤミが無い。
このレンズキットがあれば俺のカメラでもこれが撮れると思うと、購入も考えてもいいかもしれないと思った。

 とにかく、インディの映画としては上出来すぎると思った。これ、5人で撮ったんだから大したもんだ。
「街の景色をどう撮るか」は、普段自分が街をどう見てるか、そして街のどこを見てるかが如実に顕われる所。
そういった意味で、400 blows と見比べたりしたい。



でも、俺は今晩9時からROXIEで、イブと亮君と三人でこれ見に行ってきます。

Thursday, July 8, 2010

180°SOUTH



近所の lost weekend video で、何気なく手にした映画、「180°SOUTH」。

40年前、patagonia と northface の創始者達が辿った、パタゴニアまでのpan american highway沿いの道中を記録した16mm映画に感銘を受けた青年が、自分もそれを追体験してみるというドキュメンタリーなんだけど、観てみて正直ショックを受けた。
なぜなら、「南北アメリカ縦断」それは奇しくも2年前に自分が掲げていた旗印だったから。

 2年前俺は、世界旅行しながら生きて行ける方法を、何とかカメラで切り開けないかと一人で模索していた。
その一つに、「海外での撮影経験」という大きな課題を自分に課して、グアテマラへと出かけ、一本のドキュメンタリーを撮った。
その道中で、いい女を見つけた。最高だと思った。意外と控えめだったが、内に秘めたポテンシャルが滲み出ていた。
彼女は、一人で世界遺産の古都アンティグアに住み、日本人宿の管理人をしていた。
この女となら、一緒にやっていけると思った。俺は迷わずSFに誘った。
そして2008年の独立記念日、出会ってから1ヶ月目に、彼女はアメリカの地を踏んでいた。
上がる花火達が、彼女と俺のこれからを祝福している様に思えた。

 俺は、彼女を手に入れた。一気に行くしかないと思った。今こそリスクを取る時だ。持てるお金を一気に使って、HDカメラと、macbook pro、そしてVWのEurovanを買った。二人共スペイン語が話せるし、俺は英語もできる。後は、この道中を記録して、お金に換える方法を見つけるだけだ。それが一番大変な部分なんだけど。
俺は、片っ端から旅モノのテレビ番組やドキュメンタリーを観まくって、構成やコンセプトを分析し、自分に出来る事と出来ない事を分析した。そして、ディストリビューションを含めた制作の全体の流れを知る為に、テレビ局に就職した。
ココで真面目にしばらく勉強すれば、道が開ける筈だと思った。

 そして仲間、仲間が必要だった。こんな大きな旅、仲間が多いにこした事無いし、何より二人で行くのは勿体ない。
俺には、地元から付き合いのあった後輩が居た。こいつなら乗ってくれる。

しかしそのアイディアは、人間的に未熟な甘えた考え方だった。

 掲げた目標が難しいものであればある程、要求される能力や人間性、そして何よりそれを成し遂げる気持ちが問われる。
そういった意味で、俺が見つけるべき同伴者は、恐らくその行程の中に居るのであって、自分の周囲に居る人間をそのように仕向けるのは自分のエゴの押しつけでしかない。もちろん相手がそれを面白いと受け取って自発的にトランスフォームしていくという様な、ラッキーな出来事もこの世にはゴマンと有ると思うけれど。
その意味で、俺の旗印に賛同している者は、残念ながら俺の周りには居なかった。
その後輩は、楽しそうだと言って是非行こうと同意してくれたが、実際それに向かって何かアクションを起こしたりは決してしなかった。彼にとって、サンフランシスコこそが未だ完成せぬライフなのであって、それを軌道に乗せる為にただ淡々と働いていた。それは世の大半の人々が日々行っている事で、決して責められる事ではない。外の世界は楽しそうだけど、何かをリスクにさらしてまで観たいとは、彼は全く思っていなかった。
彼女は、俺が思っていたよりもまだずっと子供だった。いや、違う。むしろ彼女が思っていたよりも俺が夢想家だったというべきか。
彼女は、俺と暮らせるという事が既に幸せそうだった。それ以上を望んだりしていなかった。
彼女は、元々破綻していた俺の日々の暮らしをfixにかかった。食事は全て外食、家にはキッチンも無いという状況から、ちゃんと倹約して自炊して、という具合に。そんな、彼女のもたらした地に足の着いた日々は、楽しかった反面、「これは自分が日本で捨てて来た暮らしの再現じゃないのか?」という疑問が頭をもたげた。「俺がやりたいのは、これなのか?」

 自分の掲げた目標の為に、自分の持てる金と時間をつぎ込んで、次のジャイアントステップの機会を伺っていた俺は、それまでのリズムで進めていない状況に違和感を覚えた。俺は、そろえるべきモノは概ね買った。まだ初歩だけど業界にも入った。世界旅行するだけの現金はまだ手元に残ってる。後はお前らだ。どうだ?
公美、車の運転覚えたか?英語勉強してるか?旅先でお金稼ぐ方法考えてるか?この旅の後、未来に繋げる何かを考えてるか?
タカヒロ、お金貯めてるか?写真勉強してるか?スペイン語は?リサーチしてるか?
二人共、バリバリやってくれ。被写体がエクストラオーディナリーでなければ、俺の企画も成立しないんだ。
当たり前の事だけど、二人は俺の望む様には動いてくれなかった。
俺が二人居れば、俺がやってもいいのにと、何度も思った。一度は俺の旗印に賛同しておきながら、他所を向いて暮らしてる二人が、俺はいつしか憎くなっていた。好きなだけに、仲間を置いて一人では行けない。一緒にやろうと言ったじゃないか。どうしたんだ?
それは、自分の夢の実現の為に他人を切る事が出来ない俺の、人間的な甘さの裏返しだった。優しさというものを、はき違えていた。
そして何より、その時の俺では、一人でそれをやりきる力が無い事を、俺は知っていた。

 俺の夢は推進力を失い、友達への信頼を失い、彼女への信頼も失った。日々はただ流れ、お金もいつしか無くなり、俺は錆びた。外へ羽ばたく気持ちは何処かへ消え、俺は自暴自棄になり、自堕落な暮らしに堕ちた。どうにでもなれ。

 一年が過ぎた。友は去り、彼女も俺の元を去った。手元に残った車だけが、夢の傷跡となって俺を苦しめていた。「本当ならば今頃、この車でパタゴニアあたりを走ってる筈」などと、いつも思っていた。そんなある日、180°SOUTHを観た。
かつての俺の夢が、目の前に展開していた。苦しかった。悔しさと羨望、戻ってこない一年の日々の重さが一気に襲って来て、一人で息が苦しくなりながら最後まで観た。二日後、俺は車を売った。

 一人になって静かな暮らしを手に入れた。自分とゆっくり向き合ってみた。夢は、その形をすこし変え、でもまだそこに棲んでいた。
2年前に描いていた夢は旅行だったけど、今の自分が描いている夢は、暮らし。一気に世界一周を目論んでいたけど、今は移動しながら、その土地土地で暮らしながらの、もっと長い「ライフ」という名の旅行で世界に一本の線が引けないかと考えてる。カメラを選んだ事は、俺にとって幸いだった。これがあれば、やる気が有ればどこでもやって行ける。以前の様な、被写体に対する拘りも無い。どんなモノでも作品に参加出来れば、それは何で有れ、既に俺の旅行記の一部なのだから。。。。。。


 

Sunday, July 4, 2010

20年の時を超えて。


頭、丸めてみた。
久しぶりに見た坊主の自分は、変わってなかった。
人の反応とか気になるけど、多分自分が思うほど人は気にしてないよな。多分。

ところで、坊主って太陽がすっげえ暑い!!!
今日は、マウンテンビューの公園で結婚式の撮影なんやけど、大丈夫か?
キム兄がぶっ倒れそうになった話、きっと本当やな。

Thursday, July 1, 2010

はじめてやってしまった。

ベスパで移動中、何だかお尻がいつもと違う感じがして、触ってみると、、、、

「あれ?無い。」

定位置のケツポケに刺さっている筈のiphoneが無い。
家に忘れたんだろ、とタカを括って外を半日うろついて帰宅。やっぱり無い。
はじめて携帯を持ったのが、阪神大震災の頃。博多に帰ると、まだデジタル電波が飛んでなくて使えなかったっけ。いや、でも、博多に居た時、モトローラのパカパカ持ってた事あったな?ま、いいや。
それが95年。あれから15年経つけど、電話落っことすなんて初めてだ。
しっかりせーよ、俺。

これからは、電話は前ポケだな。