Tuesday, March 27, 2012

Koyaanisqatsi


 今日、久しぶりにアメリカに戻って来た。
この数日、ZUNI/Navajo/Hopiの村をまわって、それぞれの人達と素晴らしい時間を過ごした。どの村も、携帯は通じなかった。
彼等の土地は、アメリカであってアメリカではない。独立国家なのだ。

この旅も、今日で終わる。あとは帰るだけだ。明後日にはサンフランシスコだろう。楽しかった。泣けるほど楽しかった。

前半、テキサスからマイアミまで、西海岸では見る事の無いリアルなアメリカ人達を見た。誰もが俺達に、好奇心でも敵対心でもない、ただ異物を見る様な目を向けて来た。
どこまで行っても、沿道には巨大な広告とショッピングモールが延々と続き、驚く程一様に、人々の運転は必要以上に荒く、毎日毎日事故を見た。そこには文化的なものは何一つ無く、ただ途方も無いサイズの「消費」という活動の中で人々が暮らしているだけだった。
当初の予定では、ニューヨークをまわって北部も行こうとしていたが、これ以上は無意味だと悟った。これから先は、ただこれが延々と続くだけだ。

彼等から学ぶ事は、もう何も無い。

フロリダの最果てをまわって引き返し、南部の廃れ果てた田舎道をトロトロと走りながら、気が向いた場所で泊まり、200年以上前から続いたキリスト教と奴隷制を柱とした白人至上主義の成れの果てを眺めた。
どこに行っても、教会と捨てられた家々とスワンプが延々と続いていて、すべてがゆっくりと朽ち果てて、土に還ろうとしていた。人々は一様に疲れていて、泥に汚れ、覇気がなく、そして意外にも優しかった。
南部は、日本の過疎の村を思わせた。初めて見るのに、何か懐かしい感じがした。

 東海岸から西へ真っ平に続いて来たアメリカ大陸のプレートは、ミシシッピ川を渡ったあたりからゆっくりと上がり始め、テキサスとニューメキシコのボーダーでバッキリと折れて落ち込んでいた。
大昔、海の底だったこの場所は、大部分は隆起した時に海水が削り取ってしまい、何億年も前の地表を露にしている。所々にプレートの残骸を残していて、それがメサとよばれるテーブルマウンテンとなって、地平線と平行に特異な景観を成している。
この乾ききった何億年も前の土の上で、ネイティブアメリカンの人々は暮らしている。

俺は、ほんの数週間前まで、彼等について何も知らなかった。「家も持たずに自然と調和して生きる、誇り高き狩猟民で、今は居留区に押し込められて不当な扱いを受けている人達」というぼんやりとしたイメージだった。それは部分的には正しかったが、実際はそうではなかった。
中西部に住むネイティブアメリカンには大きく二つの流れがある。
移動型の狩猟種族と定住型の農耕種族の二つだ。

前者はナバホやアパッチ、ユートなどのいわゆる俺達が子供の頃から映画などで目にして来たインディアンだ。
彼等は北方から平原を下って後からやってきた侵略者だ。主に狩猟と採集で生活しており、ティピを建てて移動しながら暮らしている。

後者はズニやタオス、ホピなどのプエブロと呼ばれる人々で、アドビと呼ばれる土壁の家を建てて定住し、トウモロコシを育てながら生活している。彼等は今は200以上の部族に分かれて散らばって暮らしているが、紀元前1500年から紀元後1300年頃までは今のニューメキシコ北部にまとまって住んでいて、壮大な都市文明を築いていた。これをアナサジという。
この文明の中心地だったチャコキャニオンは、未だ殆どが未発掘で、解っている事のほうが少ないという、謎の文明だ。その建築は精緻にして巨大で、そこに見られる仕事の細かさから、当時の社会が高度に発達した分業によって成り立っていた事は間違いないという。だが彼等は、ある時ぱったりとその場から居なくなってしまう。その理由は正確には解っていないが、恐らく大干ばつであったろうと言われている。

しかし、そんな考古学的な問題は、俺にとってどうでもいい。問題は、彼等がそこを捨てて散らばった後、もう一度それをやり直そうとしなかったという事だ。
一度は壮麗な文化を築いた彼等も、現在は小さな村々に分かれて、それぞれの部族の文化と伝統を重んじながら、細々と暮らしている。

何故だろう?

答えは、ホピの壁画にあった。
彼等はこの地に辿り着いてからずっと、伝統的な暮らしを守って来たが、19世紀の終わり頃、英語教育を柱とする合衆国政府の同化政策を受け入れるかどうかで村が割れた。
この時、保守派の長老達が進歩派の人々に対して、もし白人の道を受け入れたならば、その先どうなるのかを説明する為に書かれたのが、その壁画だ。
そこには、二つの道が描かれており、一つは真っ直ぐな道で、その先にトウモロコシが描かれている。それは古来のホピの生き方を選ぶならば、トウモロコシとともに永遠に生きて行けるという意味。
もう一つの道は、ジグザグの後に途切れてしまっている。これは白人の道を表しており、混乱の末に終わる事を意味している。
これが、「ホピの予言」の真実だ。
確かに、これは未来の事に言及しているので、「予言」と言えるのかもしれないが、ホピの人々は別に超能力者ではない。それを、「ホピの予言」などと称してカルト的に神格化して扱う人達が日本には沢山いるそうで、荒野でひっそりと暮らしているホピの人々に対して失礼な話だと思う。


話は少しずれてしまったが、それから100年経った今、答えは出ている。
オライビと呼ばれる保守派の村は、一時は1500人を超える人口を誇っていたが、今は12家族しか暮らしていない。彼等は、今も当時の村で電気も水道も無く暮らしている。
村に覇気は無く、わずかに一件土産物屋があるだけだ。

対して、村を割って出て行った人々はkykotsmoviという別の村を作って暮らしている。そこには電柱が立ち、電線が走り、水道があって、人々は現代的な暮らしをしている。
人口は増え、オライビに比べて数段大きい。
しかし、子供達はホピ語を喋る事が出来なくなってしまっていて、大きな問題だと異口同音に村の人々は言っていた。

現時点で物質的な面だけを見れば、カイコツモヴィの人々が正しかったように見えるかもしれない。しかし長期的な観点で考えた時、それもまた正解ではない事が分かるだろう。道徳の基盤となる文化を失ってしまったら、後には人々の欲しか残らない。

つまるところ、それこそが、このアメリカという社会の正体だ。
移民で構成されたこの社会は、長い年月存続し続けて来た社会が共有している伝統的な文化を持っていない。今日も続いている文化圏とは、長い時間の荒波に揉まれて洗練された形をしており、どれも基本的にはサステイナブルだ。
理由は極めて単純で、もしそうでなければ何千年も存続出来ないからだ。
そしてアメリカの準植民地であった日本は、それを忘れてしまっている。

現代アメリカよりも1000年早く物質的な豊潤を経験した彼等プエブロインディアン達は、知っていたのだ。もし、必要以上の富を手にする欲に流されてしまえば、社会は混乱しバランスを失い、やがて崩壊するであろう事を。これをホピ語でkoyaanis(混乱した)qatsi(社会/世界)という。

俺が見たマヤ文明も、また同じだった。俺は学校で、マヤ文明は滅びたと教わった。だが実際はそうではなかった。グアテマラの高地では、今でもマヤの人々は元気に当時とさして変わらない暮らしをしている。ただ、以前の様な大きくなりすぎた社会を維持する為に隣国を攻めたり、巨大なピラミッドを建てたりしなくなっただけなのだ。
それが出来ないのではない。そんな事にエナジーを使う事の無意味さを悟ったのだと思う。

ローマも、モンゴルも、そうして終わったのではないだろうか?そんな気がする。

産まれたときから、東洋にある西洋文明の中で育ち、アメリカに引っ越して11年間暮らしてみた。そして、こうして時々旅に出て、その外側に生きる人々を覗きに行っては育てて来た考えが、この旅で確信として花開いた。

こうして、今日この日、俺にとって2012年に世界は終わりを迎えた。

今まで俺達が「現代」と呼んで来た世界は、俺にとって「近代」となった。
世界は終わるのではない。終わらせるのだ。終わっている事に気がつくだけだ。

俺がいくら世界は終わったと言ったところで、現代社会に生きる彼らにとって、その時代は続いて行くのだろうし、終わりもしないだろう。
終わったという事に気がつかないまま、その時代と共に死んで行くのだ。
環境の変化に適応出来なかった、恐竜のように。

俺は、生き抜いてやる。
さて、しかしこれからどうやって生きて行こうか。


Friday, March 16, 2012

コロラド


世界遺産タオスプエブロは、まさかのClosed。一年のうちで10周中だけ閉まってるそうな。目の前まで行って、てっぺんの方だけ見て引き返して来た。。。。。。

その後、Earthshipに通りかかり、ほうほうと覗きに行くと、入場料$7というので駐車場で料理して昼飯喰って、中を見らずに後にした。行儀悪いです。
自分達の活動を人に見てもらうのに、お金を取ろうという考えが気に入らない。
その先に、「お手頃価格の土地を買って、家を建てませんか?」という看板を立てた広大な空き地が国道の両脇にあって、その中でヒッピー達がスクールバスやRVを並べたり、ゲルやドームを建てたりして暮らしていた。
アースシップなんかより、ずっと自由な気がした。

フロリダからテキサスまで続いた一枚の大陸プレートは、ニューメキシコとのボーダーでパッキリ割れて、水の浸食の爪痕が見え始め、真っ平らな乾いた平原にメサが並ぶこの地独特の景色となる。
そしてその景色もタオスで見納め、道が突然上り始めたかと思うと、既にロッキー山脈の中に居る事に気がつく。登りが激しすぎて、全然距離が稼げない。地図上ではすぐの筈のデュランゴにも今日は辿り着けなかった。
この一月半、相当な田舎にも出掛けて来たつもりだったが、今日の国道64号は驚く程ヒトの暮らしから離れた土地だった。真っ白に雪をかぶった森の中をはしる道沿いに、町と言える様な場所は一つもなく、ただ集落が思い出した様に30分おきくらいにポツリポツリと出てくるだけ。しかもそのうちいくつかはゴーストタウンや潰れたスタンドだった。

そんな荒れた道程に突然、川沿いに水着を着た人達がワイワイやってる場所が現れた。

アメリカで初めて見た、限りなく日本の温泉宿に近い形の温泉宿だった。
これで美味い川魚の料理でも出てくれば、正に黒川温泉あたりのいい宿だ。
実は、この旅で温泉には2回も振られており、残り物には福がある感じでココが一番よかった。
こういう、地元の人間向けのツーリズムに紛れ込むのは、大体いつもけっこう楽しい。

やっと温泉入れました。

Wednesday, March 14, 2012

その後。

旅も佳境に入ってきつつあり、ネットどころでは無い毎日になって来た。

前回はニューオーリンズだったと思う。

その後メキシコ湾沿いにフロリダへ進み、

最南端キーウエストとフロリダキーズで今年の夏休みを済ませ、

折り返し、

ケネディ宇宙センターでシャトルの組み立て工場に潜入し、

南部の寂れ上げた田舎道を5日かけてトロトロと流しながら、

エルビスの家とか、


水晶の鉱脈とか、

キャデラックの埋まってる所とか、

風車の一杯立ってる所とか見ながら、

やっとニューメキシコに戻って来た。

長かったけど、よく考えたら先週は海水浴だったのに、今週は雪だ。

そして昨日はアンテナの一杯立ってる所に行って遊んで来た。
ウチのやつのヌードです。どうぞ。

今日はサンタフェで久しぶりのホテル。

ここからが、遂に本番。
全く知識のない、プエブロ文化とアナサジの世界に入って行く。

 今日発見した事と言えば、ここ辺りのプエブロとは白人が来た時点で既に自治が進んでいたという事と、それが白人によって丸ごと取り込まれて現在のアメリカの一部として機能しているという事、その新しい形の植民地化の正体が資本主義という名の徴税システムと土地の取り上げだったという事、つまりハワイ/グアム/プエルトリコ/その他のネイティブアメリカンの居留区やチベットと同じ、日本で言えば沖縄と北海道の様な物であるという事だった。

そんな政治的な話は好き好んで訊いたり話したりするものではないと思うが、そこを抜きに物事を考えられない。

明日は、タオスプエブロを見た後、ロスアラモスで世界初の原子爆弾が炸裂した所に行ってきます。

Friday, March 2, 2012

ガダラの豚/Bad Lieutenant



ニューオーリンズは雨だ。まだ夜10時過ぎだが、嫁も子供も後部座席でとっくに寝ている。
観光地のフレンチクオーターを離れ、あても無く街を一人で流す。
東に向かうと、段々とこの街が本当の姿を現し出した。
カトリーナによってメチャクチャに壊された爪痕は、未だにそこら中に残っている。
1/3ほどの民家は、その後再建される事も無く、放置されたままだ。
人々は廃墟の立ち並ぶ街で、日常をおくっている。
街灯も少なく、暗い。
なのに、所々大きめのビルの廃墟がライトアップされていて明るい。
ホームレスなどの侵入を防いでいるのだろう。

車を停める。ここが何処なのかよく分からないが、今日はココで寝よう。
目の前は、屋根の抜け落ちた廃墟。子供の頃に、友達と忍び込んだお化け屋敷を思い出す。
しかし、その隣は民家を改造したパブで、日曜日の深夜だというのに賑わっている。
土地には、それぞれの「気」というものがある。そして、往々にしてその「気」を代弁するドラッグがその地を席巻しているものだ。
日本の覚せい剤、カリフォルニアの大麻、北部メキシコのペヨーテ、タイの阿片、そしてこの街は、酒だった。
この街の人々は、本当によく呑む。観光名所は言うに及ばず、相当奥の住宅地でもパブは何処も賑わっている。そしてリズムは土の匂いがする。路上で黒人だけのマーチングバンドがカッコイイ曲やってて、通行人が踊り出してちょっとした路上パーティー状態になったりしていた。黒人ばかりなのに、バカみたいなヒップホップは影が薄い。
ベイエリアで見る黒人達が楽器なんか触ってるの見た事無いもんな。
先週マルディグラスが終わったばかりで、街はその余韻を残して、まだ少しじっとりと熱を帯びている。



今日、このブードゥーの街この本を読み終えるのは、不思議な縁だ。
7年前に友達が日本に帰る時に置いて行ったものだが、これまで一度も開こうとした事は無かった。それが何故だかこの旅に出るその日に、何の理由も無く持って出て来たのだった。多少の幼稚さはあるものの、面白くて一気に読んだ。
セコイアの森で、雪の山脈で、夜の砂漠で、そして今日、雨の街で。
旅の途上で、旅の物語を読むのが好きだ。
この物語もまた、旅の話だ。しかも、らもさんの書いた旅の話。
面白くない訳が無い。

主人公の大生部は民族学者で、アフリカの呪術を専門に研究している、その道では秀でた研究者だ。家族を連れての現地でのフィールドワーク中に、事故で娘を亡くしてしまう。それが元で、大生部はアル中に、嫁も鬱になってしまう。
それから7年、そんな大生部のもとに、テレビ局からアフリカでの呪術師の取材の話が転がり込んで来て、彼等はまた呪われたアフリカの地を踏む事になるのだが。。。。。。

ヒトのある所には、必ず喜びや悲しみがあり、幸せなヒトが居れば、必ずそれを妬むヒトも居る。社会には、それらの不平等や不均衡を正そうとするホメオスタシスのようなものが作用していて、これを不自然に押さえ込みすぎると、今アメリカで起こっている格差社会是正デモのような事がおこる。
ヒトが今の様な罰則を基準とした法治社会を造る以前、その仕事を司っていたのはシャーマンだった。この物語はそれを単純にオカルトとして描くでもなく、上手くストーリーに取り入れながら現代にはめ込んでいる。

そして、その現代は人類の歴史のなかで最も広範に変成意識が受け入れられている時代でもある。
その昔、ドラッグはシャーマンや彼がゆるした者達だけが手に出来るものだった。そしてそれを通して得られた経験を神託として社会が運営されていた。
しかし現代は、誰でも望めばそれが手に入る時代になった。そこに経験を積んだガイドとしてのシャーマンは存在せず、崇高な目的も失われ、快楽の側面が注目されるようになった。
結果、広大な精神世界を地図も持たずにうろつく輩が増え、無自覚に呪いを現実に持ち帰るようになった。現代とは、シュールリアルがリアルの中に流れ出している時代だと思う。

らもさん自身も元々その一人であって、そして何度もそのラインあたりをウロウロしながら生きていたように思う。そして最期、自分自身が「俺、いつか階段から落ちて死ぬわ〜」と予言した通り、階段から落ちて亡くなった。

この呪い/ブードゥーを、上手に空気感として取り入れている映画がある。それが今回の映画 Bad Lieutenant だ。監督のWerner Herzorgは、若い頃は哲学めいた大作を沢山作っていたのだが、今作ですっかり垢が落ちて、どの角度から見ても素晴らしい作品を撮る監督になった。ストーリーは、今回のこのブログの内容とかぶるので、敢えて書かない。ただ、素晴らしい作品なので、是非見て欲しい。

ここから、一路フロリダを目指します。