Friday, December 31, 2010

Alex Grey - World Spirit


2010年が終わる。「何と形容したらいいのか分からない」そんな年だった。
子供の頃から今まで、殆ど恐怖症のように生活がルーチンに陥るのを極度に嫌って生きて来たが、それでも今年は今までのそれとは全く違った。
今まで集めて来たパズルのピースがカチャカチャとはまって行くような、そんな年だった。

狂おしい夏を経て、俺が今年最後に得たものは、嫁と子供だった。

今、子供は身長約4cm。
自分達の体の声を注意深く聞いた結果、今しかないというタイミングで思った通りに授かった。

言葉にすると、今まであまりにも語られすぎたテーマでチープに思えるが、やっぱり生命が宿るという事は神秘的だ。
一体、魂とはどこからやってくるのか?どのようにしてやってくるのか?
こんな根源的な疑問は、今まで沢山考えて来たけど、全く分からなかった。
でも、今ならなぜあの頃解らなかったかが分かる。今、それが何となく分かるからこそ子供が出来たと思う。
みんな、どうなんだろう?
俺の、この不思議な体験というか「理解」みたいなものを見事に表現している作品がある。
Alex Grey の "World Spirit"という作品。

Alex Greyは、ニューヨーク出身の画家。元は写実的な絵を描いたりしていたのだが、ある時のLSD体験を境にサイケデリックアートに傾倒して行く。生命の神秘に打たれた彼は、その後5年間ハーバードの解剖学研究室で働きながら人体に関する理解を深め、その知識に基づく人体の精密な描写が特徴の現在の作風を確立した。90年代のレイブカルチャーの隆盛と共に注目を集め、Nirvana, TOOL, Beastie Boys等のジャケットに彼の画が採用された事もあり、一般の知る処となった。

World Spirit は、彼の作品群の中から、命に関するものを中心に一連の流れを汲むものを彼自身の語りとともに観るもの。
「自分という人間の紹介」の第一部、資本主義の終焉を描いた第二部に続いて、受精の瞬間からの自分の誕生を描いた第三部、そして「死」の第四部という構成のライブパフォーマンスを収録したモノ。サンフランシスコの隣町、オークランドでのパフォーマンスを友達のヤスジが観に行っていて、「ちょっと宗教臭くて俺はダメでしたけど、凄かったです」と言っていたのを思い出す。
確かにニューエイジ的なモノは、ゼロ年代に入って毛嫌いされたし、レイブカルチャーは、あくまでオルタナティブであったが故にクラシックになり得なかった。俺もそれは仕方の無い事だと思うが、彼等の残した波紋は、今でも俺の中に確実に生きていて、日々の意思決定に影響している。
オーガニックに生きる事や、社会の声ではなく自分の声を聞く事、自然、宇宙、命、運命。
アレックスは、よくパーティーで見かけたし、何度か同じフロアに居合わせたりもした。草も一緒に吸った。
いつも決まってレザーのカウボーイハットを冠った彼は、鋭い目つきとは対照的な優しい物言いが印象的だった。
今年観た彼は、大きなコルセットのようなもので体を縛り上げて絵を描いていた。何処か体が悪いのだろうか?
偉大なアーティストの一人だ。いつまでも健康で、一枚でも多く素晴らしい作品を作って世界を啓蒙してほしい。


7年前、寛治がわざわざ日本から送って来てくれたこのDVDは、今年やっとその意味が分かった。ウチのDVD殿堂入りです。

今年、楽しかったな〜。忘れられない。
皆さん、よいお年をお迎え下さい。

Wednesday, November 10, 2010

人、それを映す鏡。

カウアイでは、6泊7日の旅行中、合計11回もヒッチハイクで移動させてもらった。島の皆さん、本当にお世話になりました。
島の中を走るバスは、一時間に一本。終バスは夕方6時という平和さ。しかも土曜の終バスは4:30、日曜に至っては休みなのだから、島に流れる時間の感覚は、言わずもがな。
そんな、タダでさえ移動が困難な島なのに、加えて一本しか無い国道は、なんと島を一周する手前で切れてしまっている。つまり、島の北側に行ったら、元来た道を戻るしか南に行く方法はない訳で、この不便さが島の自然破壊と観光地化を上手く防いでいる。
お陰で、こんなに小さな島なのに、実際歩くと、どこも途方も無く遠い。

「レンタカーを借りない」という選択は大正解だった。
お陰で、この島の持つ最大の魅力「人の優しさ」に触れられた。
この旅の間、俺達が出会った島の人達は一人の例外も無く優しかった。
普段、街での暮らしの中で俺達が自然と身に付けている自己防衛という名の鎧を、ばっさりと脱がされてしまったように思う。そんな重くて着心地の悪いモノは、この島では全く必要なかった。
何の警戒心も疑いも、欲も無く自然体で接してくる島民達と接していると、本来そうである自分達も、すぐに馴染んでしまった。
他人の思惑を気にせずに暮らせるという、当たり前の贅沢。
ステイ中に知った事だったが、どうやらこの島には捕食者となるケモノや、毒のある生き物が全くいないそうだ。どおりでそこに住む人々も毒っけゼロな訳だ。
やはり土地の気というのは、人に影響する。


 人っ子一人居ない山奥で、トレールの入り口が分からなくて途方に暮れていた俺達を連れて、3時間も一緒に歩いてくれたマット。訊けばガイド本の編集者だという。あいつに会わなかったら、絶対にあの日のトレールは歩けなかった。ありがとう。

雨のにじむ小さいテントに無理して寝ていた俺達に、快く自分達の持っていたnorth face の高そうなテントを譲ってくれたマイケルとサラの二人は、wwoofという団体を通じて農場の仕事を探しに来ていた素敵なカップルだった。
お陰で、残りのステイは格段に過ごしやすかった。
ミネソタに行ったら遊びましょう。ありがとう。

何故かいつも何処でも閉店間際に駆け込む癖のある俺達を、これまた不思議なくらいどこも笑顔で迎えてくれた。
お陰で、何かが足りないなんて事で困る事は一度も無かった。ありがとう。

郡のキャンプ場を回っていた俺達は、毎朝違うキャンプ場で目が覚める暮らしだったのだが、何処に居ても毎朝同じおじさん達が掃除にやってくるので、仲良くなってしまった。
毎朝、昨日の旅の話をして、今日と明日の予定の話をすると、それについての情報をくれたり、別のもっと面白そうな場所の話をしてくれたりした。
時には嵐の情報もくれたため、予定を変更して難を逃れた事もあった。ありがとう。

ハナレイの街でブティックをやっているリズ、キャンプ場まで乗せて行ってくれた上に、キャンプ道具を置いてトレールに入ろうとする俺達を心配して、自分の家に荷物を預けて行けと言ってくれた。
彼女のお店に居た店員の子も同様に親切で、一つもモノを買わない俺達に、聞けば何でも教えてくれた。ありがとう。

他にも;
一時間もかけて旅の行程を一緒にたててくれた役場のおじさん、
頼みもしてないのにペットボトルに水を入れてくれたレストランのウエイトレス、
ビーチでバーベキューに誘ってくれたおじさん、
朝一で採って来たというスターフルーツを沢山くれたおじさん、
コーヒーをくれて、身の上話を聞かせてくれたホームレスのおばさん、
街を観たいならバックパックを置いて行きなさいと言ってくれたカフェオーナーのキャンディ、
そんな小さな親切に、一日に何度も数えきれない程出会った。皆、本当にありがとう。

この旅で、俺達が島から受け取ったメッセージは、「人とは己を映す鏡である」という事。

これらの出来事は自分達が島に心を開いたから起きているんだと言う、言葉にならない感覚を俺達二人が同時に感じた。
優しい人達が、本来の俺達を呼び出し、俺達がまたその人達をより本来の姿に近づけて行くという無限のサイクル。
この旅で俺達は、性善説は信じるに足ると思った。

大げさでも何でもなく、この旅の間、ただの一度も政治や戦争や経済や人種差別や貧富の差や法律などの、「本来存在しないもの」に気を紛らわされる事無く、ストレートな自分で居られた。それはignoranceでは無く、pureである事の結果に見えた。皆が、自分に満足して暮らしていれば、その共同体である社会もまたピースであるという当たり前の出来事が目の前で展開していた。
人間は今、大都市への一極集中や世界大戦等の20世紀の混沌、そして21世紀初頭のグローバリゼーションを経て、また新しい村社会を形成しようとしている。俺には、その動きはまるで、バビロンの街を築いてそこを去った人々のように見える。俺達は、これから何処の村に身を委ねようか。

もしかしたら、2012年って、そんな時間の流れのおそ〜い世界の事を言ってるのかもね。

Friday, November 5, 2010

ハードコアなりきりターザンごっこ

北での山籠りの最中、さすがにフラストレーションが溜まる時もあったりして、取材が終わって山を下りたら絶対に何処か遠くへ行こうと心に決めていた。
それもどこか特別な場所に彼女と行こうと。一ヶ月も相手にしていなかったお詫びも兼ねて。
そんな事を考えてる時、一冊の本を見つけた。その本はアメリカの色んなショートトリップを紹介している本で、これから国内旅行を計画している俺には、思わぬ助けだった。
取材先に居たエリックが住んでいるという、ヴァージニア州のアパラチアントレイルも載っていた。いつでも遊びに来い、と先週誘われたばかりだ。それも良いか。
フォーコーナーズあたりの先カンブリア紀の地層がむき出しになった景色の中をゆっくり車で巡る旅は、俺の夢の一つだ。それも載っている。
そうして走り読みしていると、一枚の写真に釘づけになってしまった。

どれほどの距離が離れているのかさっぱり見当のつかないスケール感の狂った断崖絶壁が、エメラルドグリーンの原生林に覆われて、巨人ののこぎりのように真っ直ぐに青空を切り裂いている。熱帯特有の原色の世界。


何故かは分からないけど、その写真を見た時に理由も無く嬉しくなってしまって、この景色を彼女に見せようとその時決めた。
取材を終えて、ギアを満載にしたバイクで帰宅した後、そのままネットでチケットを買ってパッキングを済ませ、カウアイ島がどんな所なのかもよく分からないまま、びっくりしている彼女を連れ出して、次の日の朝SFを後にした。

5時間後、俺達は北回帰線の南に居た。2008年のグアテマラ取材以来の熱帯。むっとした空気に押さえつけられる快感。
純粋にトランジットの為に止まったオアフだったが、一日のステイをとっておいて良かった。というのも、その日のフライトを次の日と勘違いして憶えていたバカな俺達、一日散々島中グルグル遊び回った後、飛行機が飛び立つその時間、見事にホテルで乗り過ごしていた。
でもその時iphoneが助けてくれた。モノは試しとフライト変更してみたら、通るじゃないか。危ないアブナい。

翌日、もう一回フライトに乗り遅れるという大惨事を経て(本当にバカです)、でも30分遅れで無事カウアイに着いた俺達は、島で唯一の、街にあるホステルに投宿してみた。
元々、日本人宿の管理人をしていた彼女は、色んな宿を見るのが好きだ。
俺も安宿に居る連中が大好きだ。
世界中どこに行っても同じ事しか出来ない短期滞在のリゾート客と違って、その多くが長期滞在者である彼らには、興味の対象を他人や外に求めているという、人として最も求められる基本の姿勢が備わっていると思う。
この宿、ネットのレビューはメチャクチャに書かれていて不安一杯だったのだが、泊まってみたら感じの良い一般的な安宿だった。
オーナーのスライダーは、ちょっと偏屈だけどいいヤツだった。
子供の頃オアフに住んでいた時に日本語放送で観ていたキカイダーに憧れてマーシャルアーツを始めたという彼は、心優しいブラジリアン柔術使いだった。
彼は、喧嘩で耳を齧られてる白猫と、足の悪い老犬の二匹と一緒に、太平洋の真ん中の片田舎で、誰かが泊まりにくるのを今日も待っている。

ハワイ諸島は、太平洋プレート下にあるホットスポットが火山となってマグマを地表に押し上げている所を、プレートがその上を移動しているため、それとともに北西に向かって順番に出来上がった連続した休火山のチェーンだ。
一番西にあるカウアイは、すなわち一番古い。
カウアイは、その為浸食が最も進んでいて、断崖絶壁が至る所で無数の滝に削られて、険しい谷を作っている。
このワイメアキャニオンは、「太平洋のグランドキャニオン」と呼ばれている。
島の中央に位置する最高峰ワイアレアレに遮られて、貿易風はその含んだ湿気をココで全て雨として地表に落とすため、高地では通年雨が降り続き、地球上で最も降雨量の多い場所となっている。
三日目に行った、アラカイスワンプと呼ばれる湿地帯は、その真ん中に位置しており、実際にはその場に溜まった水が無いにも関わらず沼として扱われている、非常に珍しい場所だった。
しとしとと途絶える事無く降り続く雨の中、暑くもなく寒くもない空気は、体の内側と外側の境目が曖昧になる。そこをびしょびしょのまま、泳ぐようにトレールを抜けて行く。
環境に適応したものだけが繁栄して行くという当たり前の純粋な棲み分けが進んでいる原生林は、手入れの行き届いた植物園よりも美しい。
そんな奥地まで半日もの時間を潰して連れて来てくれたデイヴは、朝ご飯を食べに寄ったカフェで捕まえた。
自身の事を Info-holic と呼んでいた彼は、60歳をまわった今も好奇心旺盛で、何の質問をしても答えてくれ、俺達と一緒になって観光を楽しんでくれた最高のガイドだった。
彼は何の見返りを求めるでも無く俺達をキャンプ場に残してまた来た道を独りで運転して帰って行った。

つづく

Wednesday, September 8, 2010

めがね



 自分というものをしっかりと維持して生きて行くのは、とても大事な事だ。そうでなければ、この競争社会を生き延びて行く事は難しい。油断していたら、脇が甘くなって失敗したり、最悪の場合、仕事を奪われたり失ったりしてしまう。仕事だけじゃない。年齢を重ねれば持ち物も、やらなければならない事も増え、それらに関する責任等も右肩上がりに増えて行く。法的な責任なんかも出て来て、とても一人で全部は対応出来なくなるから会計士や税理士、弁護士なんて仕事がもてはやされるのだろう。営業マンや、家庭を持っている人達なんて、俺の想像の範囲の遥か外側でその重責を担っていると思う。もちろん誰もが何となくそれに慣れて生活している訳だが、都市生活を営む上で、シンプルライフとは、ほぼ死語となりつつある気がする。
 そのテンションを維持する為には、時には自分の意見を信じて疑わない堅固なエゴを持って臨まなければならない事もある。俺の様に、カリフォルニアのゆる〜い時間の中で生きていてもそれを思ったりするのに、ストレス社会の日本で働いてる人達はきっと大変だろう(と、書いていて気がついたが、俺がそのプレッシャーを感じているのは、日本から受けた仕事の時だけだな)。
 
 「めがね」は、そんな都会の喧噪から逃れて南の島へ来た一人の女性タエコが、偶然泊まった宿で出会った人々との交流を通して、戸惑いながらもその凝り固まったエゴを脱ぎ捨て、リラックスした本来の自分を取り戻す、旅の物語。
彼女がそこを選んだ理由は、単純に「携帯の電波が通じない所だから。」う〜ん、分かる。日本に居て車屋だった時、昼夜となく鳴るお客からの電話にうんざりして、コッチに来た時に電話が無くて凄く生活がリセットできたと思った。懐かしい。そんな彼女は、いつでも価値判断の基準を自分に置いていて、それを疑うというアイディアすら持っていない。
宿に流れるスローな時間と自分とのギャップを不快に感じた彼女は、二日目にしてチェックアウト。無礼極まり無いのだが、本人のロジックでは当然だと思っている事が、態度にありありと出ていて可笑しい。結局は、後に戻ってくる訳なのだけど。
宿の人間とは言わず、近所の誰もが食べている浜辺のかき氷も、何度勧められても「かき氷は苦手なんで」の一言。その度に、それを美味いと知っている皆は、彼女の「やらかしちゃった感」を残念に思っている始末。

 こういう、「走りすぎて擦り減った時」というのは、誰にでもあるのだろうか?
俺には、そんな覚えがある。メキシコを旅していた時、その旅自体をナメてかかっていた俺は、英語が全く通じない環境に相当なストレスを感じていた。ローカルの人達と全くコミュニケーションが取れない。話せる相手は宿に居るバックパッカー達だけ。靴磨きのオヤジにはスエードのブーツに表皮用のオイルをべったりと塗られてしまうわ、バスのチケット代はボラれるわ、どこに行ってもシャワーは冷たいし(メキシコは高地が多く、結構寒い所が多い)、とにかく頭に来てた。そこで、スペイン語を話さなければこの先ずっと楽しくないと確信し、学費が安いと噂だった全く未知の国グアテマラへ、旅もそこそこに、一気に南下した。
街に到着し、宿で紹介された学校に真っ直ぐに向かうと、ニコニコした受付の女性が対応してくれた。が、彼女、スペイン語でしか対応してくれない。今思えば当然の対応なのだが、その時の俺には、そんなことを思う余裕は全くナシ。スペイン語が話せないから勉強しに来てるのに、何でせめて英語で対応してくれないんだ?と、全くポイントのズレまくった怒りが湧いて来た。何とかかんとか頑張って入学費を払い手続きを済ませると、彼女が訊いて来た。
「どんなホストファミリーが希望ですか?」
今の俺ならきっと、「トラディショナルなインディヘナ(原住民)の家庭で、マヤ語や織物の勉強がしたい」とか気の利いた事が言えるのだが、その時の俺が見舞った一発は、なんと

「暖かいシャワーが出る所」

だった。あ〜、今思い出しても恥ずかしい。顔から火が出そう。我ながら本当に残念です。しかもそこで紹介されたお宅は確かに奇麗なお宅だったし、ホストマザーも素晴らしい人でしたが、ステイ三日目から三日間、高熱と下痢続きで寝込んでしまい、熱いシャワーもへったくれもありませんでした。。。。
そんなダメな俺にちゃんと看病してくれて、ホストマザーとその娘、そしてイヌのチェステルには、今でも感謝です。お陰で体調も回復し、学校でバリバリ勉強して、残りの旅は、一生心に残る素晴らしいものになりました。

 これには後日談があって、2年前、その旅から丁度4年後に同じ街に撮影で行く機会があり、その家を訪ねるかどうか考えていた。しかしステイも短く、それほど美談と呼べる様なエピソードを残したわけでもない、何の変哲も無い留学生の一人だった俺が、今更突然顔を見せた所でどうだろう?と思っていた。そうして一週間程が過ぎ、ある現場でクルーとカメラを回していた所、何とあのホストマザーが突然そこを通りかかった。しかしこちらはインタビューの撮影中。私語は勿論厳禁だ。俺は精一杯のテレパシーを送ってみた。それが通じたのかどうか分からないが、彼女は撮影中の俺達を一瞬見た。でも、その時の俺は、髪の毛は腰上までありヒゲも生えていて、とても当時とは似ても似つかない風貌。頑張って会釈をしたら(当然現地には会釈等という習慣は無い)、向こうはちょっと不思議に思った様だが、コチラに笑顔を向けるとそのまま行ってしまった。あの時、お礼が一言だけでも言いたかった。。。。。。

 旅って、いいよね。書いてたら何だか旅に出たくなって来た。夏が終わる前に、カウチサーフィンで一人旅でもしてみるかな。

Saturday, August 28, 2010

The Man Who Fell to Earth



 NYからやって来たファイアーダンサーのMasaeちゃんがSFでセミナーを行い、その模様をカメラで収めてきました。本人の弾けるエナジーは勿論良かったですが、会が進むにつれ、参加者の皆さんが能動的に彼女と情報を交換しながら自身を解放して行く様を観るのは中々興味深く、良い刺激を貰いました。まゆみちゃん、ひろみちゃん、そしてまさえちゃん、どうも有り難うございました。

 さて、そんなこんなで合計3時間近く回したビデオのフッテージを全て観なければならないのも、この商売の辛い所。いつも撮る時は撮りこぼしの無い様に、そしてエディターに少しでも多くの選択肢を与えたいと思う親心(?)も手伝って、ついつい長めに回してしまうのだが、最近大学にまた行き始めた事もあって、忙しい毎日。昨日も夜9時まで学校行って、10時帰宅、そこから全てフッテージをチェックしてメモとって、早めに終わっても1時過ぎか〜。でも自分の時間もちゃんと持ちたい。ん〜、やっぱビデオ1本観ようっと。でも、終わったら4時過ぎちまうな。

 前回に引き続き、Nicolas Roegの映画が観たくて帰り道にビデオ屋をdigしてたら、あったあった。流石はLost Weekend
David Bowie主演のSF、The Man Who Fell to EarthがBlu-Rayで入荷してた。当然観るでしょうよ。

 その男は、New mexicoの山中に居た。いつやって来たかも分からない。彼は人里へ降りてきて、社会に参加しようとする。
見た事も無い製品のパテントを取って、あっという間に彼はアメリカでも有数の富を築き上げる。しかし他者は皆、彼の事を詮索したがったり、疑い深かったり、性に溺れていたり、陰謀を巡らせていたりしていて、それらをまともに受け取ってしまう敏感な彼には、都市生活は消耗が激しく、すぐに逃げる様に隠遁生活をする様になる。
人知れずNew Mexicoに戻って来た彼は、場末のホテルに投宿し、世話焼きなメイドのMary Louに一切を任せて暮らし始めた。
他者との直接的なコミュニケーションを絶った彼はテレビに異常な執着を見せ始め、ホテルの部屋に何台ものテレビを持ち込み、一日中それらを眺める様になった。テレビが見せる人間の本性。世界は暴力と欲と性に溢れ、それらは彼の意識に入り込んで離れない。あまりに大きな他者のエゴに押しつぶされそうになった彼は、ある決断を下した。その持てる富をつぎ込んで彼が行った事とは。。。。。

 80年代以降のサイバーパンクをベースにSFというジャンルを見て来た俺には、どうしても「SFとは、現在をベースに捉えた上で未来の社会を描き出す思考実験」という思い込みがある。その部分をどれくらい忠実に描き出せるかがSF作家の腕の見せ所でもあるわけで、そこを追いかけながら読んだり観たりするのが楽しいのも事実だ。
しかしこの作品やホドロフスキーエルトポの様な、全く違う世界を描くSFもあって、こういった作品はメタファーとして仮想の世界を舞台にしている場合が多く、得てして芸術性が高い場合が多い。この映画はその最たるものの一つと言って良いと思う。物語が進むにつれて不可思議になって行くテーマ、その流動的なテーマに合わせてクルクルと変わる作風。一本の映画なのに、まるで何度も違う作品を見せられている様な、不思議な感覚。時に学生が16mmで撮ったかのようなザラついた実験映画の様であり、またサイケデリックでロックな映像かと思えば、フィルムノアールのようなハードボイルドの世界だったりもする。そして、その全てのスタイルを見事に演じきっているBowieは、タダモノじゃない。これが映画初主演というんだから、すげえ。
観ながら先を想像するという、普段どうしても無意識に行ってしまう作業は完全に無意味で、それを放棄させられる映画だった。

 海外に流れ着いて、この映画を観ると、感慨深いものがあった。
絆とか、故郷とか、過去と現在と未来とか、一人で生きるってこととか。
「今日は死ぬのにいい日だ」という感覚を失って生きていては、いつ死んでも悔いが残る。
Be Here Now が一番大切なのは間違いないけど、目標を持って生きる事も大事。でも、未来に理想を求めると、現在の価値を見落としてしまいそうになるからね。その失敗は、昔やったし。

そんな時のアファーメーションは、「相手を思いやる優しさを失わず、自分を一番に思える強さを持つ事」です。まさえちゃん。

Wednesday, August 18, 2010

Walkabout



 ケミストリーとは、不思議な物だ。それまで狂おしい程に思っていた相手が、急に特別でなくなったり、今まで全くの知人や友人の一人と思っていた人物が、急に輝いて見えたりするのだから。
生きている内に、そう何度も経験する物ではないけれど、それを感じた時、自分の事がケモノに思えた。なぜなら、いくら言葉で説明しようとしても無理だという事だけが、それについて言葉で説明出来る事だからで、それは完全に理屈を超えた感覚の話。
しかし逆に、そこにまた人間らしいところが関わって来たりする。このケミストリーを起こしたり失ったりする原因は、その相手とのコミュニケーションにあるわけで、その部分は完全に理屈の世界だったりする。たとえば、カッコイイとか可愛いとか、優しいとか頭がいいとか、そういう事だ。人間とは、なんと矛盾を孕んだ生き物だろう。
そこで先のリンクで Breaking up(別れ)を見ると、興味深い事が書いてある。Equity theory(男女間での報酬とコストが等価である事)によると、If a person in the relationship feels that the personal costs of being in the relationship outweigh the rewards there is a strong chance that he/she will end the relationship. と、ある。翻訳すると、恋人同士のうち一人が、その関係を続けて行く上で支払う犠牲(コスト)が報酬 (喜び等)を上回る時、別れという選択をとるチャンスがある、という事らしい。
何とも学者らしいカタい意見で、こいつ本当に恋愛した事あるのかなあ?と思わされるが、一歩引いて俯瞰で見た時に事実こういう部分はあると思う。誰でも自分が一番かわいいし、それを非難する事は出来ない。気持ちを尊重して、自分が損しながら関係を続けていても、結局、熟年離婚する夫婦みたいに続かないしね。そういった意味で、コミュニケーションとは、いつでも抜き身で向き合う真剣勝負の様なもので、お互いの力が拮抗している間はお互いの事を認め合えるという事なのかもしれない。

そんなケミストリーは、人が一生において咲かせる数少ない「花」のようなものだ。当然、その花を讃えるべく古今の人々が唄を歌い、詩を詠み、本を書き、映画を作って来た。しかしこれが、往々にしてラブストーリーという形をとるわけで、そうなるとどうも俺のテイストに合わない。何かこのケミストリーが垣間見せる「野生の不思議」みたいなものが描ききれている感じがしないからだ。ラブストーリーは、何だか人間っぽすぎて、リアルじゃない。でも、この映画 Walkabout は違った。


 二人の兄妹は、車で父親に連れてこられた荒野に居た。突然彼が二人を殺そうとしたため、二人は着の身着のままで砂漠を彷徨う事になる。二人は都会育ちの白人で、自然の中で生き延びる知恵を持たない。乾き、飢えた二人の前に、アボリジニーの青年が現れ、食物を与える。
アボリジニーには、子供の時から聴かされる歌があり、その歌は「先祖の足跡」として伝わる口頭伝承の歴史だ。彼等は、ある年齢になった時に、誰の助けも借りずに荒野を彷徨い、生き延びて村に戻るという伝統があり、それを英語で Walkabout という。ときにそれは半年にもなる長い旅。「先祖の足跡」はオーストラリア大陸の広大な土地を説明しているとされ、彼等はその歌を歌いながら、それを頼りにDream lineと呼ばれる道を辿って旅をする。彼はその途上にあったのだった。
三人は、彼の知恵を助けに荒野で生き延び、旅をする。全く言葉も通じない同士ながら、心を通わせる三人。やがて姉と青年は動物的な感覚でお互いが求め合っている事に気がつく。伝統に基づき求愛のダンスを踊る青年。しかし彼女は最後まで首を縦に振らなかった。なぜなら、時を同じくして彼等は文明の端にたどり着いたため、彼女の意識は、また文明社会へとスイッチしてしまったのだった。
皆、それぞれの世界へと帰って行き、時は流れ、ただ心の奥底に、あの時感じたケミストリーだけが残った。

 人にはそれぞれ、自分が属する集団があり、それは時と場所で変わっていくもの。この二人は、魂で愛し合えたけれど、人間が社会的な動物である以上、共に暮らせないのは仕方が無いのだろう。そして、動物的な感覚で求め合っておきながらも、社会的な感覚に目覚めた彼女が彼を拒絶するあたりが、人間の矛盾を衝いていて面白い。
そしてやっぱり、そこに鈍感なのは男で、そんな男をあっさりと切ってしまえるのが女なんだよなあ。

ところで、さっきの『別れ』の部分の最後にこう結んであった。
This also may go for the rewards outweighing costs in some cases. Breaking up can have intense emotional effects on people.
つまり、「場合によっては、報酬が犠牲を上回る時に別れを選ぶ人もいる。別れは過剰な感情の動きをもたらす。」という事らしい。幸せすぎて辛い、という事か。
ノルウェイの森かよ。バカバカしい。Fuck it.
こんなもん読まないで、Walkabout 観ようね。

Friday, August 13, 2010

Bottle Rocket



 このところ、Werner Herzog の古い映画ばかりまとめて借りていたので、ざらついた画とダークな世界にどっぷりだった。宇宙や自然と、それと対峙する人間を通して真実を見つめようとする彼の視線には、いつもそのヘヴィなテーマとは何か対照的な、人間愛に溢れたヒューモアが見え隠れして思わずにっこりさせられるのだけど、さすがに毎日観るのはキツい。今日は何か清涼感のある映画が観たいと、近所のLost weekend videoに物色しにいった。そうそう、清涼感のある映画といえば、やっぱ Wes Anderson だよな〜、と名前を探していると、彼の長編デビュー作「Bottle Rocket」がブルーレイで入荷してる!!迷わず借りて、速攻帰宅。昼にファーマーズマーケットで買った桃でも食べながら、ゆっくりしますか?
 
 Anthonyは、地元を離れてアリゾナの保養施設に居た。彼にはちょっとハイパーな友達が居て、名をDignanという。彼等ともう一人、Bobの三人は、どこか憎めない間抜けな泥棒。といっても、別に本当に泥棒なのではなく、三人はそれぞれ典型的な裕福な家庭の出で、お金が目的なのではない。彼等はテキサスの新興住宅地に暮らす、人生に苦も無ければ楽も無い、明日の心配も無いけど未来の夢も無い、そんなイマドキどこにでも居そうな若者(映画は96年公開だが、イマドキ多そうな人間を描いているのが興味深い)。
ボブは兄貴がギャングで、いつも兄に対して「俺だっていつかは」とコンプレックスを抱いて生きている。
ディグナンは夢想家のほら吹き。自分の願望を、さも現実の様に喋ってしまう。
そしてアンソニーは、そんなディグナンの無謀とも言える活発なエナジーに憧れを抱く、積極性に欠けるフツーの男。

 ある日、ディグナンがアンソニーを迎えに病院にやって来た。その帰りの道すがら語られる、次の計画。アンソニーにとって、それは何でもよかった。ほら吹きディグナンと、一緒にバカな事を一心不乱にやるという事、それがアンソニーにとって唯一の心躍らせる瞬間だった。アンソニーの実家に空き巣に入り予行演習を済ませた彼等は、地元の本屋に強盗に入る。その成功の祝杯をあげる時、隠れ家にしていたモーテルで、アンソニーは初めて自分から積極的に動きたいと思わされる出来事と出会った。美しいメイド。南米からやって来た英語も喋れない彼女と、彼は言葉を超えた恋に落ちる。しかし、なぜかディグナンは彼の初めての自立を祝福してくれない。深まる三人の溝。そして時は経ち、、、、、、。

 これといって派手な事件もなければ、哲学も思想も無いこの映画。でも三人のそれぞれのキャラと、それが織りなす人間模様はどれもすごく make sense で、大なり小なり見覚えのある誰かに似てる気がした。
きっとアンソニーは、平凡な自分の人生に華を添える方法を知らなくて、出口の無い閉塞感に捕われてる。どうやっても人生は想像の範囲内で、その外側が想像出来ない。だからきっと彼にとってディグナンの存在は、その檻をぶち破るための鍵なんだと思う。
ディグナンは夢想家で、いつもエキサイトして暮らしているけど、きっとそれは友達と何かをやっていたいだけで、子供の時の感覚の延長なんだと思う。
ボブだって力が無い訳じゃないし、本人もそれを知っているけど力の出し方とその場所が分からないだけなんだ。
自分にも、こんな三人組になった事、昔あった気がする。

もしかしたら、今もそうかもしれない。
でも、大人になって学んだ事は、一人で全部出来る力がなければ、何かを人とやる事は出来ないという事。
ディグナン観てると、懐かしくて悲しくて、でも笑えるんだよね。
 

Wednesday, August 4, 2010

Beautiful Islands



 1日から3日まで、ある番組の取材で南のサンルイスオビスポまで車で行って来た。サンフランシスコはいつもの通年変わらぬ曇天だったが、国道101号線を南に20分も下ると西海岸特有のカラッと乾いた夏だった。特にギルロイを過ぎてからの2時間程の道のりは、どこまでも続く小麦色の斜面。まるで芝刈り機で奇麗に刈り込んだかの様な牧草地が、気の遠くなる様な広大な範囲に広がっている。この先、Morro Bay という街に住む取材対象者へのインタビューだった。この場所は州立公園になっていて、大きな一枚岩の前にユニークな植生の森と入り江があって、豊かな自然が残されている。今回は、カメラと音声さんは日本からやって来ていたので、俺はアシスタント兼ドライバー。二人は息の合ったコンビで仕事もスムーズで、見ていてすごく勉強になった。細かい技とかでなく、撮影全体のスムーズ感が居合わせてて気持ちよかった。そんな二人が撮影した映画が先日公開になったそうで、俺も予告しか観てないけれど良さそうなので告知。

 Beautiful Islandsは、地球温暖化の為に近い将来海に沈んで消えてしまうと言われている3つの島々を巡ったドキュメンタリー。静かに暮らす島の人々は、自然と共に何千年も変わらぬ暮らしをして来た。しかし産業革命以降の工業化で、見知らぬ土地が生み出す欲の権化「二酸化炭素」が、彼等から島を奪い去ろうとしている。文化や伝統、そこに暮らす人々の絆などの「失われて行くもの」をカメラに収めたと、カメラの南さんは言っていた。警鐘を鳴らす意味でもっと衝撃的な映像は沢山あったけど、殆どカットだったそうで、そうする事でより静謐なトーンに仕上げ、全体に重みを持たせてあるという。秘すれば華、という事だ。監督はNHK出身の女性、海南友子さん。プロデューサーは是枝浩一さん。歩いても歩いてもは、俺の2008年のベストでした。

 インタビューや道中などの撮影はVaricamで、据わりのイメージショットは5dmkllでと、画の質を変えての撮影で、なかなか凝った事やるんだなーと感心した。上がりが今から楽しみ。しかし、すごい時代になった。Varicamの1/10くらいの値段で買える5dmkllの方が奇麗な画が撮れるんだから。いよいよ誰でもアイディアとちょっとした知識さえあれば映画が撮れる時代になってきた。自宅のガラージで録音した音源を部屋のパソコンで編集して、itune music storeで配信というプロモーションもデストリビューションも要らない流れ、既に音楽が辿った軌跡。ビデオも同じ方向に向かってる。HD cameraで撮影したフッテージを自宅パソコンで編集、YoutubeかVimeoで配信。全部タダ。もちろん、そこからお金作り出そうとしたら、もうすこし頑張らなきゃだろうけど。
こうして、一昔前には専門家でなければ出来なかった事がドンドン素人でも簡単に出来る様になってきたら、この先どうなっていくんだろう?世の全ての人々が表現者たり得る世界?

 勿論、新しい技術が安価に誰にでも享受出来る世界は素晴らしいけれど、こういった単純に価格で商品価値が測れなくなった状態は、資本主義の終焉が近い事を示していると思う。カメラ、自動車、家電品やパソコン等、商品開発に莫大な設備投資と研究開発が必要な物は、商品の消費サイクルが早くなりすぎて、商品化した時点で既に最先端では無いという事が起こりうるし、それだけのリスクを取って開発しても一旦市場に出してしまえば、すぐに中国製韓国製の安価なコピー商品が作られ、駆逐されて行く。SONYが、有機ELテレビの販売から手を引いた。理由はネットの規制に対応してない為とされているが、結局この新商品も単発で終わった。SONYとしては、復活の旗印としたかったようで、これも市場が飽和状態である事を示している例だと思う。企業が一生懸命頑張ったところで、消費者が「もう今のままで充分じゃん」と言ってしまえばそれまでなのだから。競争原理に基づいた社会や、消費と製造に基づいた社会というのに、もうそろそろ皆が飽きて来ている。
企業の皆さん、働き過ぎてないか?あなた達が作る程の量の商品を、私たちは必要としていない。供給過多と、過剰な供給にぶら下がって生きている企業人達。しかし彼等の仕事はそのうち、先述の様な彼等自身の生み出した技術の恩恵を受けた消費者達のクリエイティビティによって駆逐されて消えていくだろう。高度な分業化は終わり、ゆるやかなマルチタレントの時代へ。
羽田空港が10月に国際空港になるそうで、先日新ターミナルが落成して公開された。でも、既に予想されているキャパをさばききれない事が判明していて、落成時には拡張工事の必要性が語られていたという。一体何でそんな事が起こるのか?その二週間前には、東京成田間を36分で結ぶ京成スカイアクセスが開業。成田エクスプレスも在来線もあるのに、これから縮小が見越されてる空港にこんなに電車必要か?物事のスピードが早くなりすぎて、全てが同時に起きているような不思議な時間の感覚。昔、ぶっとんだ友達が "Everything is happening at the same time." と言っていたが、正にそんな感じ。

 真剣に働くのは良い事だし、そこに生き甲斐があるのは素晴らしいと思う。でも、それが競争を伴って必要以上のサービスや製品を生み出し、結果として地球の裏側に居る人達に迷惑をかけるようでは、決して長続きはしない。村上龍が、テレビで「趣味というものがよく分からない。いっぱしの大人ならば自分の一番時間を費やしている事、すなわち仕事が趣味である筈だ」と言っていた。これをプロフェッショナリズムと呼ぶのだとしたら、それはとても悲しい。そして迷惑な話だと思う。こんな人が増えたら、住みにくい世の中になるだろうな、と海外に居る俺は他人事のように思った。

以前紹介した180southのラストでも、patagonia とnorth face の創業者二人が言っていた。
「もし前進という事を話すなら、仮に、真っ直ぐに進んで来て崖の淵に行き着いた時、次の一歩を踏み出す事が前進と言えるのか?今は180度回れ右して次の一歩を踏み出す事が前進と言える時代なのではないのか?」と。

Friday, July 30, 2010

The Great Happiness Space


Watch THE GREAT HAPPINESS SPACE - TALES OF AN OSAKA LOVE THIEF in Movies  |  View More Free Videos Online at Veoh.com

 昨晩は、ケンさん家でロシアンルーレットDVD鑑賞会が勃発。DVDチェンジャーに5枚の中身不明のDVDをぶち込んで、ランダムに観てみるという野蛮な試み。亮君も途中参加で始まった映画のタイトルは、「The Great Happiness Space - Tale of an Osaka Love Thief」だった。

  2006年大阪。ナンバーワンホストと、彼を巡る多くの女性客達との疑似恋愛の、奇妙な夜の世界を切り取る中で見えて来た、人間の不思議な心理を捉えた秀逸なドキュメンタリー。一晩で30万40万というお金を落として、全く生産性のない時間を買って行く女性客達。彼女らは、ただ「自分を必要としてもらいたいという気持ち」からホストクラブに通い、売り上げという形で目当てのホストにお金を貢いで行く。しかしそこには当然他の客も居る訳で、より大きなお金を落とす事で他より抜きん出ようと言う、「お金の他に何か価値観を見いだせるような目立ち方知らんのか?」と叫びたくなる様な悲しい競争心を持ってお互いのドラマが螺旋の様に回って行く。あちこちで抜かれるシャンパン。

 彼女等の大半は風俗嬢だ。仕事について訊かれると、彼女等は皆そろって自分達の仕事は「慰め」「癒し」「奉仕」だと言う。大阪という巨大都市に巣食う様々なストレス、人間関係や家庭の問題などの、数えきれない人達が作り出した複雑に絡み合った目に見えない重荷を、末端で処理している人達。

 彼女等はセックス、つまり本来愛情を持った者同士がその愛の確認の為に行う行為を生業として生きている為、セックスという行為の中に愛情の確認が出来ない。だから逆に、セックスしてくれないホストにプラトニックな恋心を持ってホストクラブに通ってしまう。
仕事に行けば、愛情に飢えた人々が彼女等の元に押し寄せ、愛を乞い、彼女等の体に寂しさをぶつけて帰って行く。他人の寂しさを受け取り、擬似的にでも自分の愛情をふりまいた彼女達は、しかも実際のところ必要とされているのは体であって、彼女達自身ではない事も知っている。体というハコは引く手数多なのに、中身は誰にも求められていないという現実。孤独を抱えた彼女等は、自分達の思う理想の恋愛像を具現化してくれるホストの元に通い、自分に欠けているもの「人に求められているという事」を自らお金で買いに行く。そうする事でストレスを落として行く。つまり彼等ホスト達こそが、この社会の全てのドラマの終着点、末端なのかもしれない。

 ナンバーワンの彼は、「客の女性が求める自分」を演じながら生きているうちに、何が本当の自分なのか分からなくなってしまったと言っていた。自分を見失う程にサービスに全霊で取り組む彼は、究極のボランティアだと思う。他の全ての人のようなストレスのアウトプットを持たない彼等は、驚く程自分達のやっている事にアウェアで、かつ真面目にそのサービスに取り組んでいる。その真面目さがかえって彼等の扱っている「孤独感」という商品の深刻さを浮き彫りにしていて、「人間って一体、どうしてコミュニケートしたいんだろう?傷つけ合うのに。」と考えさせられた。

でも、傷つけ合えるくらい真剣に相手と向かい合えるのは、人として優しく、立派な事だとも思う。仮に、彼等の様に全てが嘘だという大前提があったとしても、相手がそれを必要としていて、自分がそれを与えられるなら。

俺には無理だけど。そんなの意味無いし。
同じ傷つけ合うなら、建設的に行きたいよね。

Monday, July 26, 2010

COOL

友達の家でだら〜っとハングアウトしてる時に、完全に自分を投げ出して、ホストにお任せ〜な感じでリラックスするのは最高に気持ちいい。そんな時こそ、ホストのセンスとサジ加減でその夜の気分も変わるもの。
先日は、普段プレステ3のcall of duty, world at warのゾンビモードでゾンビ殺しばっかりやってる(この国では、ナチと日本兵は何の罪悪感も無く殺していいのか?)友達が、珍しく「何かかけますか?」とか言いながらDVDを入れた。それがこれ、Miles Davis at Isle of Wightだった。



1970年8月29日、夕方5時にステージに現れたマイルスに、観客が「何を演るんだ?」と訊いた。
それに答えてマイルスが言った曲名は "Call It Anything." (何とでも呼べ)。
そこから始まったセッションは、メンバー全員完全に宇宙と交信中。
これが5.1chで聴けるんだから、良い時代になったもんだ。
しかし、当時は最終的に製品化する段階で必ずステレオに成る事しか想定されていなかった筈なのに、こうして今5.1chにリミックス出来るってことは、音源がマルチトラックのまま残されてたって事なのかな?もしそうだとしたら、音楽業界の人達は先見の明があると思うし、自分達の作品の価値にアウェアだと思う。文化遺産だからね、こういうのは。

White widow に、強めのコーヒー、Miles Davisな夜。ケンさん、ぶっ飛ばされました。

Wednesday, July 21, 2010

Bomb It!



ウチの近所 mission地区は、もともと中南米コミュニティだった所。当たり前だが街というのは、そこに住む人々によって作られているので、嫌が上にも彼らのニーズが反映される。だから、この近所は生活感が一杯。白人のコミュニティの様な洒落たスーパーなど無く、その代わり小さなグロッサリー(野菜や雑貨が置いてある商店)が沢山あり、通りにはヤシの木が並び、いつも買い物袋を下げた家族連れが溢れている。そんな中米の猥雑な雰囲気と暮らしやすさに惹かれて、ここには昔からアーティスト達が一杯住んでいる。

メキシコ+アート=グラフィティ

アステカ帝国の昔からメキシコは壁画が有名で、ピラミッド内部の壁画やディエゴリベラの描いた巨大な壁画等を旅行中色んな所で見た。しかも向こうの人達は自分の家を思い思いの色に塗るのが風習みたいで、お互いどっちがより派手なのかを競っているかのように色とりどり。丘の上から街を見下ろすと、モザイクのように奇麗だ。そんな彼らの地元に比べると、アメリカの街は地味すぎる。都市景観条例などの「この街は一体誰のもの?」と思わされる不思議な法律のお陰で、目に飛び込んでくる情報といえば企業の看板か商品広告ばかり。そこに暮らす人々は、常日頃から「買え買え光線」に晒されながら生きている。だから、故郷と同じ様に、大きな立体駐車場や学校の壁一面に壁画を描くのは彼らにとってごく当たり前の事だった。彼らラティーノの描く題材は、格差や労働、故郷、平和など社会的なトピックが多い。内戦の長く続いた彼らの故郷では、皆が通る街角に描かれる壁画とはコミュニケーションツールであり、啓蒙の為のツールであり、そして教育のツールでもあったのだ。ウチの目の前の壁にもcezar chavezrigoberta menchuが大きく描かれている。

だから、この街が壁画で溢れかえる様になったのは、ごく自然な流れだった。会った事も無いどこかの誰かが発信する、自分とは関係ない水着の女の商品広告などよりも、自分達にとってもっと重要で語り継いで行くべきものを、一番目立つ所に描く。そういった道徳がこの街の景色を作り上げて来た。そしてその伝統は、そこに移り住んできた新しい住人=アーティスト達に引き継がれ、彼らが自分達の作品としてグラフィティを描く様になって行った。だから、近所はどこもグラフィティだらけ。というのもこの街、落書きされたビルは、オーナーの自腹で塗り直しが件の都市景観条例で義務づけられてて、派手にやられると本当に笑えない損害がでる。問題になっているのはタグ(名前の落書き)。良いグラフィティの上にはタグを書かれないというグラフィティ業界(?)の暗黙の了解を逆手に取って、タグ防止の為にも逆に役立つという副作用を狙ってビルオーナー達はグラフィティを勧めたりしてる。これが覿面に効果を現したものだから、この辺りは日に日に上質なグラフィティが増えてきて散歩が楽しい。もちろんそういったオーガナイズされたものもいいけど、ゲリラ的なグラフィティの持つリアルな力みたいなものも好きなのだけれど。

そうした、行き過ぎた大量消費社会に対する反抗だとか自分達の民族的なアイデンティティの誇示、または単純な創作意欲がグチャグチャに混ざり合ってサンフランシスコのグラフィティシーンは一つの世界を作り上げてる。それはこの街に限らず世界中で起きている事の一部なのだと知ったきっかけが、この映画 Bomb It! だった。ドキュメンタリーとしてはしごく基本的な構成で、ビデオクルーが世界中を回って有名グラフィティーアーティスト達にインタビューを撮って回るという内容なのだけど、なにせ被写体それ自体が既にヴィジュアルアート。それが持つ力が凄いもんだから、とにかく画面に圧倒される。そしてこの映画が捉えたグラフィティの今とは、アメリカナイゼーションを通過した後、各地方の土着の文化と結びついてその本来のユニークさを再発見するという、グローバリゼーションの今の姿と符合するものだった。

グラフィティ好きなら、是非どうぞ。ちなみにこの本もいいですよ。

Saturday, July 17, 2010

The Wrestler



ミッキーロークって、こんなに凄い役者だったっけ?
と、映画評に書かれてたのは、何度も目にしていた。でも、ミッキーロークでしょ?って思ったのも事実。nine halfの濡れ役やAngel Heartでのロングコートを着た優男、ランブルフィッシュでのにやけた喧嘩のつよい兄貴役、Harley Davidson & Marlboro Manのバイク乗りなど、これまでの彼の役所はいつも「何だかこいつ、自分の事勘違いしてねえか?」と思わされる役ばかり。そこへきて、例のプロボクサー転向&猫パンチ事件。俺はてっきり彼はケビンコスナーと同類の、自分の事を大きく見せたいヤツだとばかり思っていた。でも、確かに予兆はあった。Sin Cityで見たミッキーは、以前とはまるで別人だった。大きな顔に、腫れ上がった筋肉質の体。声はしゃがれて、聞き覚えのある甘いささやきは何処かへ消えていた。「お?」と思ったものの、特殊メイクで覆われた顔からは、本当の姿を伺うのは難しかった。
しかし、今回は話が違った。役は、年老いたレスラー。しかも、マイナーなレスラーだった。

 主人公Randy "the Ram"は、80年代に一世を風靡したレスラー。しかし20年の月日は容赦無しに現実を彼に突きつける。かつては大きなホールを満員にした彼も、今は三流のマイナー団体に所属して、地方のファンをわずかに喜ばせているだけだった。しかし、どんなに生活に困窮しようとも集客が小さくなろうとも、スポットライトを浴びる事が彼にとって全てだった。観客の前でリングに立つ。そのために家族も顧みずにここまでやってきた。しかし、気がつけば独り。かつての栄光は影を潜め、トレーラーハウスの家賃も滞納する現実。
体を持たせる為に薬物に頼り、日サロに通い、髪を金髪に染め、自分が白人のアメリカンであるという現実とは違うアイデンティティを作り続けていく毎日。そのイメージこそが彼に求められている姿だと、彼は知っている。だがある日、彼の心臓が悲鳴を上げた。
気がつくと病院。医者は彼に引退を宣告する。もともと潮時を感じていた彼はそれを受け入れ、華々しい世界を去り、遅過ぎる社会人としての再出発を切る。何とか手に入れたスーパーの食肉売り場での代わり映えのしない毎日。しかし安定しかけた生活も、些細な事が原因で、すこしづつ歯車が狂っていく。夢を追って生きて来た自分には、無理矢理一般社会にはめ込んだ今の自分は、受け入れるには惨めすぎた。。。。

 「夢に向かって生きる」というアイディアは、現代に生きる俺達にはごく聞き慣れたものだし、それに対して全身全霊で取り組んでいる人も居れば、諦めた人も、そういう考え方自体に懐疑的な人も居る。でも、大なり小なり誰もが頭の片隅に意識しながら日々の生活をおくっているとも思う。それはあまりにも俺達の社会に浸透していて、無視する事は無理ではなかろうか。
でも、この「夢に向かって生きる」とか「自己実現」とかいうアイディア自体が実は比較的新しいものなんじゃないかと思う。
グアテマラの山奥やホンジュラスの離島等、メディアの影響の届きにくい僻地を旅して思うのは、人々はただ必死に生きているという事。勿論子供達に訊けば、先生になりたいとか医者になりたい等の答えが返ってくるのだが、それは基本的に暮らしがベースにあっての夢なのであって、何か遠い世界の見聞きしたものを夢見ている訳では無い。

こういった夢を追うという生き方は、アメリカが広めたものだ。
"American Dream"
この国では人々は皆、何かに成る為に生きている。大学進学率は60年代以来、過半数を超えている。つまり、半分以上の人々が「何者か」に成る為に努力しているという事だ。
このような社会では、自己実現を果たした人は賞讃され、そうでない人々は夢の燃えカスを抱えながら余生をおくる事に成る。

 こう書きはしたものの、2000年をまわったあたりから様子が変わって来たのを俺はじっと見て来た。俺が着いたばかりのアメリカは、分業化が社会の隅々まで行き渡り、プロフェッショナルでなければ生きていけない厳しい社会だった。でも、サンフランシスコはそういった流れを嫌って「小さい社会」を目指して進化していた。自転車ベースの移動に、バーターを勧め税金を可能な限り生活から排除し、ガレージセールや物々交換、ゴミの再利用をすすめてきた。街にはインディペンデントなイベントやギャラリーが増え、バンドも地元のハコで続けている。メジャーとアングラの境界は無く、意外と有名なアーティストが普通に街で落書きしていたりする。
日本に帰る度に思うのは、新しい技術を生活に無理なく取り入れて進化しているという事。2年ぶりに帰ったりすると、見た事も無いサービスが浸透していたりして驚かされる。俺にとって日本は22世紀だ。
一方、この街は別の意味で未来を走っている。50年代の黄金期を経て、物質的な豊潤を貪りながらアメリカ社会は衰退の一途を辿って来た。社会とそこに住む人々は、今の日本が経験している行き過ぎた個人主義や所得格差、地方都市の人口集中やドーナツ化現象などの問題を一足先に経験したある意味成熟した社会なのだ。
ハレとケを共に通り過ぎ、アメリカは今、黄昏の時を迎えている。

都市部に自然発生した村社会、サンフランシスコ。それは日本の未来の姿を示唆しているのかも知れない。


 

Tuesday, July 13, 2010

うる星やつら2 "The Beautiful Dreamer" / Shutter Island



 久しぶりに覗いたビデオ屋に、これが新作コーナーに何故か紛れて置かれていた。何故に?と興味本位で手に取ったのだが、遠い昔に、この映画は他のうる星やつらとは違うという話を聞いた事があったのを思い出し、「お薦めしません」というビデオ屋の忠告を他所に、バカは二度海を渡るというモキュメンタリーと一緒にそのままカウンターで払いを済ませた。

 なぜか最近うちでは、クローネンバーグのExistenzやスコーセッシのShutter island等の、リアリティーを捻ってとらえた映画達が続けざまにやってくる。日本でサイケデリック文化が隆盛を極めた90年代はじめから中頃に、この手の映画は片っ端から観まくった。Blade Runnerに始まり、AKIRA、12モンキーズ、バニラスカイやダークシティ、未来世紀ブラジル、カフカ、古いものではJacob's Ladderなど。共通しているのは全て「リアリティとは、脳が作り出しているものであって、それ自体ではない」というテーマで作られている事。
時代的にはこれらの映画と丁度同じ時期に作られた本作は、アニメであるにもかかわらず、それらに引けを取らない強烈な映画だった。

 高校を卒業した俺は、必死に働きながら日々を暮らしていたが、同時に疑問を感じていた。学生の時分はあんなに輝いていた毎日が、社会に出た途端に同じ事の繰り返しの日々となり、あんなに長かった一年が、あっという間に流れていく。気がついたら5年も働いていて、何も変わってない。これは一体何だ?何かがおかしくないか?
体の内側から押し寄せる成長ホルモンに押され、リアリティを求めて飛び出した街では、サイケデリックドラッグと音楽が渦を巻いていて、自分と同じ疑問と正面から向き合う仲間達がうねりに身を任せていた。そこでは、大地のリズムが爆音で轟いていた。乾いた四つ打ちのリズムは自分が子供の時から馴染んだ宇宙のリズムだった。チープな誰か知らない人の自己主張など要らない。もっと大きい不動のリズムと共に生きている感覚。共時性。
そんな時代だった。毎週どこかの山奥ではパーティーが開かれ、街に居る時にはヘッドショップでキノコが合法で買えた。90年代の日本は、もしかしたら60年代のアメリカよりもサイケデリックドラッグを消費したんじゃなかっただろうか?俺達は夢中だった。このまま精神の力で加速していって、リアリティをぶっちぎるんだと思っていた。毎日が凄く刺激的で、夏が一年の核をなしていた。しかしその一方、1999年や2012年といった終末論者達の指すゴールが、すぐそこに待っているのを俺達は横目で気にしていた。

 これらの映画は、その頃に封切られたものが多い。俺達は、その歪んだリアリティを側面から眺めたりしながら楽しんだ。当初サイバーパンクに代表されるこの手のストーリーは、JMやトータルリコールのように決まって最後に主人公が世界や宇宙や時間や、ひいては存在すらも救ったりする痛快な娯楽だったために、抵抗無く受け入れられた。しかし映画とはいつも、時代を映す鏡。エンディングに陰の有るものや、オープンエンディングとして制作者自体が答えが分からないという事を公にしてしまう映画が段々と増えてきて、この社会全体に黄信号が点滅している事を伝えていた。
そんな中、俺の周りでも一人また一人と、自ら命を絶つ者も出て来た。
俺達の掲げたユートピア像と現実の軋轢が、大きな陰となって頭上を覆っていた。何事も納得するまでやってみたい性分の俺は、そのライフスタイルが継続出来ない事を悟り、日本を捨てた。アメリカなら他人に邪魔されず、思った事を気の済むまで試せると思った。他人の力でそれを邪魔されたならば、俺も死んでしまうかもしれない。マヤの人々が時間の向こうから手招きしている。嫌だ。
それだけが、俺に残された生き残る方法だった。

 結果、俺の選択は正しかったと思う。俺は、自分の信じるリアリティを追求し、旅をして、人に会い、答えを得た。今振り返ってみて、悔いは無い。ある部分俺が正しかったし、ある部分は間違っていた。ただ、それは正面から社会に向かって吠えたからこそ得られたものなのであって、あのまま日本に居たら、きっと今頃まだ、自分の理想を正当化する作業に腐心していたと思う。当時の友達の中にはまだ、それを続けている者も居る事を、ブログ等を通じて目にする。田舎暮らしやオーガニックも良いけれど、それは既に、70年代にヒッピーの残党がアメリカでやってみせた事で、それが何も変える力が無かった事を、時代が証明している。
ヒッピーイズムは結局、情報過多に対する拒否反応みたいなものだと思う。知らない人が多すぎて飽和状態だから田舎へ。家賃が高くて家は小さいし、不動産を買うのはナンセンスだから田舎へ。食品の流通が不透明で怖いから自給自足へ。どれも納得出来るし、恐らく俺も日本に今住んでいたらそうするかもしれない。けれど、それって目線は内側に向いているんじゃないかな?と思う。

 そういった、内向きのユートピア思想こそが、このうる星やつら The Beautiful Dreamerの主題で、押井守は当時既にその思想にNOを出していた事が、映画から観てとれる。学園祭の準備に追われるアタルやラム達おなじみの仲間。しかしそのお祭り気分の中に、何かおかしな空気を感じる者達がちらほらと出てくる。もしかして、俺達はもうずっと前から学園祭前日というこの日を何度も何度も繰り返し生きているんじゃなかろうか?学校の外の街の人達は姿を消し、俺達はただいつまでも友達と楽しくやっていくだけ。。。。。

 結局人間は、どこまで行っても他人と関わり続けなければ生きていけないし、その中に喜びや輝きを見いだせなければ生きていけない。そしてそれは、知人との閉鎖的な輪の中には存在せず、いつも理解しがたい他人との接触を昇華したときにこそ見つかる宝なのだ。

Monday, July 12, 2010

Children of Heaven



 昨夜は、結局亮君は、SF Independent film festival のエキシビジョンとして行われているライブを観に行ってしまい(しかも途中で気が変わって行かなかったらしい)、イブは家でゆっくりしたいという理由で、残念ながら吸血少女VS少女フランケンは次回に持ち越しとなった。あの映画を一人で観に行く程B級映画ファンという訳でもないので、俺は仕方なく家でハードドライブの整理と映画を観ることにした。

 こんな寒くて友達も誰も居ない独りの夜は、優しい映画に限る。
大人な世界や、それに絡むいろんな事情、街の暮らしに疲れた時に、俺はよくイランの映画を観る。
実際行った事が無いのでこうだとは言い切れないけど、イランの人々は恋の告白に詩を詠む習慣があるほど繊細な文化と感性を持ち合わせていると聞く。その真偽の程は別として、イランの映画を観るたびに、それはまんざら嘘でもなかろうな、と思う。
ランダムに選んだイランの監督達の作品は、どれも何とも言えない優しさに溢れていて不思議な統一感を共有している。
今夜の作品 Children of Heavenも、そんな作品の一つだった。

 主人公は恐らく小学校高学年の兄妹。二人は進んで家事をこなす、よく出来た子供。
一方、彼らの父親は稼ぎも無く、それを家族に八つ当たりするダメなオヤジ。子供達二人は彼の目を気にして暮らしている。
そんなある日、兄は買い出しの途中で、修理を済ませたばかりの妹の靴、しかもたった一足しかない靴を無くしてしまう。
明日から学校に履いて行く靴が無い妹と靴をシェアする事を兄は思いつく。それこそが、新しい靴を買う余裕もない彼らの唯一の方法だった。午前中は妹が履いて学校ヘ行き、放課後走って待ち合わせ場所へ急ぎ、兄と靴を交換してサンダルで帰る。
そんな付け焼き刃の嘘は、何度かの衝突を経ながらも、上手く行っている様に見えた。
しかし、そんな誤摩化しは永遠には続かない。
兄のスニーカーは擦り減り、汚れていく。妹はそれを恥ずかしいと感じるようになり、それを観た兄は、何とか彼女に靴を手に入れる方法を考えていた。そして。。。。。

 ハリウッドに毒されていない人々というのは、こんなにも慎ましく純粋で居られるものかと、嫌でも思わされる世界観。
子供の頃、ただの鉛筆一本でも、お気に入りのものを見つければ、ずっとハッピーで居られたあの頃。
別に決して「子供の頃が一番良かった」なんて話ではなくて、子供の頃の自分は今でも自分の一部なのであって、今も共にココに居るという感覚を、はっと気づかされた。人間は歳を重ねると子供の頃の記憶を無くしていく生き物だ。その時、人によっては生まれながらの自分の嗜好とは違うものに目を向ける人や、またそれをサバイバルの方法として敢えて身に纏う人も居る。特に俺たち80年代に少年時代を過ごした世代は、テレビというメディアから一元的に情報を与えられて生きて来たため、そういった人間が多い。「カッコイイ」は基本的にテレビや雑誌から与えられるもので、それをほぼ全ての国民が共有しているという共同幻想の中で俺達日本人は、長い事生きて来た。その枠組みの外側に、「自分のカッコイイ」を標榜するものは敵とされた。理解出来ないものは、不快なモノ。そういった不自然な価値観は当然色々な歪みを生んで、バブルの狂乱と相まって、90年代のいわゆる失われた10年を形成していった。
猿岩石に代表される「自分探しの旅」が共感を呼んだのは96年、俺が22歳。オウム事件が起きた頃だった。
見境無く垂れ流される情報とは暴力であり、テレビの様に内容も知らせずに情報を受け取らせる行為は、マインドに対するレイプに他ならない。インターネットの解放によって、今の子供達はきっと、その生来の資質を見失う事無くまっすぐに伸びていけるだろう。情報という意味において、彼らには俺達には無かった選択の自由がある。それは社会の成熟を示していて、それを理解する事が出来ない大人たちを尻目に、堂々とこの世界を受け継いで欲しい。

 最近、要らないモノをどんどん捨てて究極までシンプルになろうとしてる中で、そんな子供の頃の自分の存在を、自分の中にボンヤリと感じて手探りで探していたところだったので、この映画を観てスパッと決まった感じがした。
あの頃の自分に、色んなものをくっつけて今まで生きて来た。
でも、一度纏ってみなければ、それが自分に合うのかどうか、分からない人達ってのも居るんだよ。

Sunday, July 11, 2010

ロボ芸者!!



 予告どおり昨日の晩、ロボ芸者観て来た。
いや〜、凄かった。想像を遥かに超える仕上がりで、爆笑爆笑また爆笑。とにかく最初から最後まで笑いっぱなし。こんなに笑わせてて、最後まで持つのか?と途中心配になったけど、一気に最後まで引きずり上げて行く力技に脱帽だった。
しかも、所々突然挟んでくる、ジーンとさせられるシーンやホロリとさせられるシーンで、アメリカ人の観客達がモノの見事に手玉に取られてるのを後ろから見てたら、それがまた可笑しくて。いやいや、あんた達今ちょっと感動してるみたいやけど、画面よく観てみ?ロボットの芸者やぞ?何を黙り込んで感動してるんよ(笑)。

 芸者はもちろんの事、悪徳政治家、拉致問題、企業幹部の無意味な謝罪、天守閣、巨大ロボ、安いドラマ、マーシャルアーツと日本文化をこれでもかと自虐笑いに昇華しまくってて最高。
物語は、悪の秘密組織に体を改造され特殊能力を手に入れた主人公が、その己の力で組織に立ち向かうという、まんま仮面ライダーのパクリ。しかもその主人公は意地悪な姉に折檻されながらも、大金持ちの御曹司に見初められ、、、と、シンデレラのパクリもあり。俺たち昭和世代が見せられ続け、頭に嫌というほど刷り込まれて来たお決まりのパターンを、これでもかと使ってくる。脱帽。

今日はまた9時から、「吸血少女対少女フランケン」同じメンバーで攻めてきます。

Saturday, July 10, 2010

medicine for melancholy


今日の映画は、Medicine for Melancholy。

 去年公開のインディペンデントフィルムで、舞台はサンフランシスコ。
パーティーで出会った二人が、one night stand を経て、またお互いを理解して行く一日を綴ったラブストーリー。
これといった大事件も起きないし、これといったヤマも無く、オチも決まって無いし、別に意味も無い、まさにヤオイな(?ボーイズラブでは無い)映画なんだけど、これが結構いい。サンフランシスコの持つ何とも言えない時間の感覚みたいなものが、しっかりとフィルムに焼き付いてる感じが凄くいい。
二人の家はテンダーロインとマリーナ、自転車でダウンタウンへ出かけて、ミッションのバーでハングアウト。どこもおなじみの街角。
画面に映るサンフランシスコが、確実にこの映画に一つのキャラを与えていて、うならせる。
極端に少ない登場人物と、寄ったカメラのせいで、もの凄く窮屈な世界観なんだけど、だからこそ時折挟まれる街の景色が際立って、思わず見入ってしまう。
 
 フィルム、といったけど、この映画実は全編HD video。Panasonic の HVX200にニコン35ミリレンズ用のアダプターを付けて撮ってある。
全編の内、半分くらいはクローズアップじゃねえか?と思わせる程、画面一杯に二人の顔が映し出されるんだけど、このレンズと敢えて選んだ720Pの記録フォーマット、そして敢えて外しまくったフォーカスのお陰で輪郭が随分柔らかく撮れてて、全然イヤミが無い。
このレンズキットがあれば俺のカメラでもこれが撮れると思うと、購入も考えてもいいかもしれないと思った。

 とにかく、インディの映画としては上出来すぎると思った。これ、5人で撮ったんだから大したもんだ。
「街の景色をどう撮るか」は、普段自分が街をどう見てるか、そして街のどこを見てるかが如実に顕われる所。
そういった意味で、400 blows と見比べたりしたい。



でも、俺は今晩9時からROXIEで、イブと亮君と三人でこれ見に行ってきます。

Thursday, July 8, 2010

180°SOUTH



近所の lost weekend video で、何気なく手にした映画、「180°SOUTH」。

40年前、patagonia と northface の創始者達が辿った、パタゴニアまでのpan american highway沿いの道中を記録した16mm映画に感銘を受けた青年が、自分もそれを追体験してみるというドキュメンタリーなんだけど、観てみて正直ショックを受けた。
なぜなら、「南北アメリカ縦断」それは奇しくも2年前に自分が掲げていた旗印だったから。

 2年前俺は、世界旅行しながら生きて行ける方法を、何とかカメラで切り開けないかと一人で模索していた。
その一つに、「海外での撮影経験」という大きな課題を自分に課して、グアテマラへと出かけ、一本のドキュメンタリーを撮った。
その道中で、いい女を見つけた。最高だと思った。意外と控えめだったが、内に秘めたポテンシャルが滲み出ていた。
彼女は、一人で世界遺産の古都アンティグアに住み、日本人宿の管理人をしていた。
この女となら、一緒にやっていけると思った。俺は迷わずSFに誘った。
そして2008年の独立記念日、出会ってから1ヶ月目に、彼女はアメリカの地を踏んでいた。
上がる花火達が、彼女と俺のこれからを祝福している様に思えた。

 俺は、彼女を手に入れた。一気に行くしかないと思った。今こそリスクを取る時だ。持てるお金を一気に使って、HDカメラと、macbook pro、そしてVWのEurovanを買った。二人共スペイン語が話せるし、俺は英語もできる。後は、この道中を記録して、お金に換える方法を見つけるだけだ。それが一番大変な部分なんだけど。
俺は、片っ端から旅モノのテレビ番組やドキュメンタリーを観まくって、構成やコンセプトを分析し、自分に出来る事と出来ない事を分析した。そして、ディストリビューションを含めた制作の全体の流れを知る為に、テレビ局に就職した。
ココで真面目にしばらく勉強すれば、道が開ける筈だと思った。

 そして仲間、仲間が必要だった。こんな大きな旅、仲間が多いにこした事無いし、何より二人で行くのは勿体ない。
俺には、地元から付き合いのあった後輩が居た。こいつなら乗ってくれる。

しかしそのアイディアは、人間的に未熟な甘えた考え方だった。

 掲げた目標が難しいものであればある程、要求される能力や人間性、そして何よりそれを成し遂げる気持ちが問われる。
そういった意味で、俺が見つけるべき同伴者は、恐らくその行程の中に居るのであって、自分の周囲に居る人間をそのように仕向けるのは自分のエゴの押しつけでしかない。もちろん相手がそれを面白いと受け取って自発的にトランスフォームしていくという様な、ラッキーな出来事もこの世にはゴマンと有ると思うけれど。
その意味で、俺の旗印に賛同している者は、残念ながら俺の周りには居なかった。
その後輩は、楽しそうだと言って是非行こうと同意してくれたが、実際それに向かって何かアクションを起こしたりは決してしなかった。彼にとって、サンフランシスコこそが未だ完成せぬライフなのであって、それを軌道に乗せる為にただ淡々と働いていた。それは世の大半の人々が日々行っている事で、決して責められる事ではない。外の世界は楽しそうだけど、何かをリスクにさらしてまで観たいとは、彼は全く思っていなかった。
彼女は、俺が思っていたよりもまだずっと子供だった。いや、違う。むしろ彼女が思っていたよりも俺が夢想家だったというべきか。
彼女は、俺と暮らせるという事が既に幸せそうだった。それ以上を望んだりしていなかった。
彼女は、元々破綻していた俺の日々の暮らしをfixにかかった。食事は全て外食、家にはキッチンも無いという状況から、ちゃんと倹約して自炊して、という具合に。そんな、彼女のもたらした地に足の着いた日々は、楽しかった反面、「これは自分が日本で捨てて来た暮らしの再現じゃないのか?」という疑問が頭をもたげた。「俺がやりたいのは、これなのか?」

 自分の掲げた目標の為に、自分の持てる金と時間をつぎ込んで、次のジャイアントステップの機会を伺っていた俺は、それまでのリズムで進めていない状況に違和感を覚えた。俺は、そろえるべきモノは概ね買った。まだ初歩だけど業界にも入った。世界旅行するだけの現金はまだ手元に残ってる。後はお前らだ。どうだ?
公美、車の運転覚えたか?英語勉強してるか?旅先でお金稼ぐ方法考えてるか?この旅の後、未来に繋げる何かを考えてるか?
タカヒロ、お金貯めてるか?写真勉強してるか?スペイン語は?リサーチしてるか?
二人共、バリバリやってくれ。被写体がエクストラオーディナリーでなければ、俺の企画も成立しないんだ。
当たり前の事だけど、二人は俺の望む様には動いてくれなかった。
俺が二人居れば、俺がやってもいいのにと、何度も思った。一度は俺の旗印に賛同しておきながら、他所を向いて暮らしてる二人が、俺はいつしか憎くなっていた。好きなだけに、仲間を置いて一人では行けない。一緒にやろうと言ったじゃないか。どうしたんだ?
それは、自分の夢の実現の為に他人を切る事が出来ない俺の、人間的な甘さの裏返しだった。優しさというものを、はき違えていた。
そして何より、その時の俺では、一人でそれをやりきる力が無い事を、俺は知っていた。

 俺の夢は推進力を失い、友達への信頼を失い、彼女への信頼も失った。日々はただ流れ、お金もいつしか無くなり、俺は錆びた。外へ羽ばたく気持ちは何処かへ消え、俺は自暴自棄になり、自堕落な暮らしに堕ちた。どうにでもなれ。

 一年が過ぎた。友は去り、彼女も俺の元を去った。手元に残った車だけが、夢の傷跡となって俺を苦しめていた。「本当ならば今頃、この車でパタゴニアあたりを走ってる筈」などと、いつも思っていた。そんなある日、180°SOUTHを観た。
かつての俺の夢が、目の前に展開していた。苦しかった。悔しさと羨望、戻ってこない一年の日々の重さが一気に襲って来て、一人で息が苦しくなりながら最後まで観た。二日後、俺は車を売った。

 一人になって静かな暮らしを手に入れた。自分とゆっくり向き合ってみた。夢は、その形をすこし変え、でもまだそこに棲んでいた。
2年前に描いていた夢は旅行だったけど、今の自分が描いている夢は、暮らし。一気に世界一周を目論んでいたけど、今は移動しながら、その土地土地で暮らしながらの、もっと長い「ライフ」という名の旅行で世界に一本の線が引けないかと考えてる。カメラを選んだ事は、俺にとって幸いだった。これがあれば、やる気が有ればどこでもやって行ける。以前の様な、被写体に対する拘りも無い。どんなモノでも作品に参加出来れば、それは何で有れ、既に俺の旅行記の一部なのだから。。。。。。


 

Sunday, July 4, 2010

20年の時を超えて。


頭、丸めてみた。
久しぶりに見た坊主の自分は、変わってなかった。
人の反応とか気になるけど、多分自分が思うほど人は気にしてないよな。多分。

ところで、坊主って太陽がすっげえ暑い!!!
今日は、マウンテンビューの公園で結婚式の撮影なんやけど、大丈夫か?
キム兄がぶっ倒れそうになった話、きっと本当やな。

Thursday, July 1, 2010

はじめてやってしまった。

ベスパで移動中、何だかお尻がいつもと違う感じがして、触ってみると、、、、

「あれ?無い。」

定位置のケツポケに刺さっている筈のiphoneが無い。
家に忘れたんだろ、とタカを括って外を半日うろついて帰宅。やっぱり無い。
はじめて携帯を持ったのが、阪神大震災の頃。博多に帰ると、まだデジタル電波が飛んでなくて使えなかったっけ。いや、でも、博多に居た時、モトローラのパカパカ持ってた事あったな?ま、いいや。
それが95年。あれから15年経つけど、電話落っことすなんて初めてだ。
しっかりせーよ、俺。

これからは、電話は前ポケだな。

Wednesday, June 30, 2010

はじめまして。

2001年に日本を出て、はや9年。
俺の旅行は、相変わらずここサンフランシスコで沈没中。
エルサリートで出会ったケンさんは、35年旅行してたって言ってた。
てことは、俺の旅行はまだまだ序盤てことかも?

2年ぶりの誰も居ない一人の時間。
たまってた、やらなきゃいけない事、やりたい事、片っ端から。でも一つずつ。

で今日は、ブログ始めましたの日ということで。