Friday, July 30, 2010

The Great Happiness Space


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 昨晩は、ケンさん家でロシアンルーレットDVD鑑賞会が勃発。DVDチェンジャーに5枚の中身不明のDVDをぶち込んで、ランダムに観てみるという野蛮な試み。亮君も途中参加で始まった映画のタイトルは、「The Great Happiness Space - Tale of an Osaka Love Thief」だった。

  2006年大阪。ナンバーワンホストと、彼を巡る多くの女性客達との疑似恋愛の、奇妙な夜の世界を切り取る中で見えて来た、人間の不思議な心理を捉えた秀逸なドキュメンタリー。一晩で30万40万というお金を落として、全く生産性のない時間を買って行く女性客達。彼女らは、ただ「自分を必要としてもらいたいという気持ち」からホストクラブに通い、売り上げという形で目当てのホストにお金を貢いで行く。しかしそこには当然他の客も居る訳で、より大きなお金を落とす事で他より抜きん出ようと言う、「お金の他に何か価値観を見いだせるような目立ち方知らんのか?」と叫びたくなる様な悲しい競争心を持ってお互いのドラマが螺旋の様に回って行く。あちこちで抜かれるシャンパン。

 彼女等の大半は風俗嬢だ。仕事について訊かれると、彼女等は皆そろって自分達の仕事は「慰め」「癒し」「奉仕」だと言う。大阪という巨大都市に巣食う様々なストレス、人間関係や家庭の問題などの、数えきれない人達が作り出した複雑に絡み合った目に見えない重荷を、末端で処理している人達。

 彼女等はセックス、つまり本来愛情を持った者同士がその愛の確認の為に行う行為を生業として生きている為、セックスという行為の中に愛情の確認が出来ない。だから逆に、セックスしてくれないホストにプラトニックな恋心を持ってホストクラブに通ってしまう。
仕事に行けば、愛情に飢えた人々が彼女等の元に押し寄せ、愛を乞い、彼女等の体に寂しさをぶつけて帰って行く。他人の寂しさを受け取り、擬似的にでも自分の愛情をふりまいた彼女達は、しかも実際のところ必要とされているのは体であって、彼女達自身ではない事も知っている。体というハコは引く手数多なのに、中身は誰にも求められていないという現実。孤独を抱えた彼女等は、自分達の思う理想の恋愛像を具現化してくれるホストの元に通い、自分に欠けているもの「人に求められているという事」を自らお金で買いに行く。そうする事でストレスを落として行く。つまり彼等ホスト達こそが、この社会の全てのドラマの終着点、末端なのかもしれない。

 ナンバーワンの彼は、「客の女性が求める自分」を演じながら生きているうちに、何が本当の自分なのか分からなくなってしまったと言っていた。自分を見失う程にサービスに全霊で取り組む彼は、究極のボランティアだと思う。他の全ての人のようなストレスのアウトプットを持たない彼等は、驚く程自分達のやっている事にアウェアで、かつ真面目にそのサービスに取り組んでいる。その真面目さがかえって彼等の扱っている「孤独感」という商品の深刻さを浮き彫りにしていて、「人間って一体、どうしてコミュニケートしたいんだろう?傷つけ合うのに。」と考えさせられた。

でも、傷つけ合えるくらい真剣に相手と向かい合えるのは、人として優しく、立派な事だとも思う。仮に、彼等の様に全てが嘘だという大前提があったとしても、相手がそれを必要としていて、自分がそれを与えられるなら。

俺には無理だけど。そんなの意味無いし。
同じ傷つけ合うなら、建設的に行きたいよね。

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