Thursday, July 8, 2010

180°SOUTH



近所の lost weekend video で、何気なく手にした映画、「180°SOUTH」。

40年前、patagonia と northface の創始者達が辿った、パタゴニアまでのpan american highway沿いの道中を記録した16mm映画に感銘を受けた青年が、自分もそれを追体験してみるというドキュメンタリーなんだけど、観てみて正直ショックを受けた。
なぜなら、「南北アメリカ縦断」それは奇しくも2年前に自分が掲げていた旗印だったから。

 2年前俺は、世界旅行しながら生きて行ける方法を、何とかカメラで切り開けないかと一人で模索していた。
その一つに、「海外での撮影経験」という大きな課題を自分に課して、グアテマラへと出かけ、一本のドキュメンタリーを撮った。
その道中で、いい女を見つけた。最高だと思った。意外と控えめだったが、内に秘めたポテンシャルが滲み出ていた。
彼女は、一人で世界遺産の古都アンティグアに住み、日本人宿の管理人をしていた。
この女となら、一緒にやっていけると思った。俺は迷わずSFに誘った。
そして2008年の独立記念日、出会ってから1ヶ月目に、彼女はアメリカの地を踏んでいた。
上がる花火達が、彼女と俺のこれからを祝福している様に思えた。

 俺は、彼女を手に入れた。一気に行くしかないと思った。今こそリスクを取る時だ。持てるお金を一気に使って、HDカメラと、macbook pro、そしてVWのEurovanを買った。二人共スペイン語が話せるし、俺は英語もできる。後は、この道中を記録して、お金に換える方法を見つけるだけだ。それが一番大変な部分なんだけど。
俺は、片っ端から旅モノのテレビ番組やドキュメンタリーを観まくって、構成やコンセプトを分析し、自分に出来る事と出来ない事を分析した。そして、ディストリビューションを含めた制作の全体の流れを知る為に、テレビ局に就職した。
ココで真面目にしばらく勉強すれば、道が開ける筈だと思った。

 そして仲間、仲間が必要だった。こんな大きな旅、仲間が多いにこした事無いし、何より二人で行くのは勿体ない。
俺には、地元から付き合いのあった後輩が居た。こいつなら乗ってくれる。

しかしそのアイディアは、人間的に未熟な甘えた考え方だった。

 掲げた目標が難しいものであればある程、要求される能力や人間性、そして何よりそれを成し遂げる気持ちが問われる。
そういった意味で、俺が見つけるべき同伴者は、恐らくその行程の中に居るのであって、自分の周囲に居る人間をそのように仕向けるのは自分のエゴの押しつけでしかない。もちろん相手がそれを面白いと受け取って自発的にトランスフォームしていくという様な、ラッキーな出来事もこの世にはゴマンと有ると思うけれど。
その意味で、俺の旗印に賛同している者は、残念ながら俺の周りには居なかった。
その後輩は、楽しそうだと言って是非行こうと同意してくれたが、実際それに向かって何かアクションを起こしたりは決してしなかった。彼にとって、サンフランシスコこそが未だ完成せぬライフなのであって、それを軌道に乗せる為にただ淡々と働いていた。それは世の大半の人々が日々行っている事で、決して責められる事ではない。外の世界は楽しそうだけど、何かをリスクにさらしてまで観たいとは、彼は全く思っていなかった。
彼女は、俺が思っていたよりもまだずっと子供だった。いや、違う。むしろ彼女が思っていたよりも俺が夢想家だったというべきか。
彼女は、俺と暮らせるという事が既に幸せそうだった。それ以上を望んだりしていなかった。
彼女は、元々破綻していた俺の日々の暮らしをfixにかかった。食事は全て外食、家にはキッチンも無いという状況から、ちゃんと倹約して自炊して、という具合に。そんな、彼女のもたらした地に足の着いた日々は、楽しかった反面、「これは自分が日本で捨てて来た暮らしの再現じゃないのか?」という疑問が頭をもたげた。「俺がやりたいのは、これなのか?」

 自分の掲げた目標の為に、自分の持てる金と時間をつぎ込んで、次のジャイアントステップの機会を伺っていた俺は、それまでのリズムで進めていない状況に違和感を覚えた。俺は、そろえるべきモノは概ね買った。まだ初歩だけど業界にも入った。世界旅行するだけの現金はまだ手元に残ってる。後はお前らだ。どうだ?
公美、車の運転覚えたか?英語勉強してるか?旅先でお金稼ぐ方法考えてるか?この旅の後、未来に繋げる何かを考えてるか?
タカヒロ、お金貯めてるか?写真勉強してるか?スペイン語は?リサーチしてるか?
二人共、バリバリやってくれ。被写体がエクストラオーディナリーでなければ、俺の企画も成立しないんだ。
当たり前の事だけど、二人は俺の望む様には動いてくれなかった。
俺が二人居れば、俺がやってもいいのにと、何度も思った。一度は俺の旗印に賛同しておきながら、他所を向いて暮らしてる二人が、俺はいつしか憎くなっていた。好きなだけに、仲間を置いて一人では行けない。一緒にやろうと言ったじゃないか。どうしたんだ?
それは、自分の夢の実現の為に他人を切る事が出来ない俺の、人間的な甘さの裏返しだった。優しさというものを、はき違えていた。
そして何より、その時の俺では、一人でそれをやりきる力が無い事を、俺は知っていた。

 俺の夢は推進力を失い、友達への信頼を失い、彼女への信頼も失った。日々はただ流れ、お金もいつしか無くなり、俺は錆びた。外へ羽ばたく気持ちは何処かへ消え、俺は自暴自棄になり、自堕落な暮らしに堕ちた。どうにでもなれ。

 一年が過ぎた。友は去り、彼女も俺の元を去った。手元に残った車だけが、夢の傷跡となって俺を苦しめていた。「本当ならば今頃、この車でパタゴニアあたりを走ってる筈」などと、いつも思っていた。そんなある日、180°SOUTHを観た。
かつての俺の夢が、目の前に展開していた。苦しかった。悔しさと羨望、戻ってこない一年の日々の重さが一気に襲って来て、一人で息が苦しくなりながら最後まで観た。二日後、俺は車を売った。

 一人になって静かな暮らしを手に入れた。自分とゆっくり向き合ってみた。夢は、その形をすこし変え、でもまだそこに棲んでいた。
2年前に描いていた夢は旅行だったけど、今の自分が描いている夢は、暮らし。一気に世界一周を目論んでいたけど、今は移動しながら、その土地土地で暮らしながらの、もっと長い「ライフ」という名の旅行で世界に一本の線が引けないかと考えてる。カメラを選んだ事は、俺にとって幸いだった。これがあれば、やる気が有ればどこでもやって行ける。以前の様な、被写体に対する拘りも無い。どんなモノでも作品に参加出来れば、それは何で有れ、既に俺の旅行記の一部なのだから。。。。。。


 

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