Monday, January 31, 2011

D.I.Y. or DIE



 まだ中学生の頃、パンクロックを初めて聴いた時に、ビックリした。
勿論カッコいいからだった。ザラザラした音質にヤられた。高校に上がる頃、イカ天のお陰でバンドブームだったけど、地元のライブハウスでは、まだレコードから聞こえて来てたようなロックには中々会えなかったから、近所のケヤキ通りのアストロマインドって古着屋に、意味も無く音を聞きに行ったりした。Alley cat Loftもいい音かけてたな。

D.I.Y. Do It Yourself.

「こんなに下手糞で音質も悪くても、レコードって出せるんや。」それまで歌謡曲やテレビから聞こえるポップスしか知らなかった俺には、商品化された音楽でないインディーズの音楽は「生」の質感をもって感じられた。
思えば、パンクの友達は当然かもしれないけどD.I.Y.だった気がする。
パックマンスペースインベーダーズで自分をプロデュースしてたし、小山君はリスクをシルクスクリーンで刷ってた。
ヤッチンも早いうちから東京に出て靴屋始めてた。

 この街は、いい意味で社会的に破綻した人間でも受け入れられる素地があるので、「好きな事しか出来ない」愛すべき人達が沢山いて、彼等は今日も、その持てるスキルで必死に生きている。連中は、当然あまり裕福でない場合が多い。だから自分で何でもやるし、また、出来てしまうから自分でやってしまう。買うという必要があまり無いからお金に対する執着が薄い。だから器用貧乏になってしまう。
 こういうマーケティングから程遠いところで暮らしている人達の作るものは、とても素直でユニークで、難解なのに何故かメッセージが受け取りやすい。一生懸命作られた彼等のジュエリーや服や音楽や絵を前にすると、工業製品のなんと退屈な事かと思わされる。
毎月開かれるクラフトフェアでは、街のアーティスト達が店を出しているからよく覗きに行く。ゆかちゃんと直樹も店出してたな。

 D.I.Y.は2000年代のトレンドだったと思う。買い物に飽きた人達の、当然過ぎる反応だった。今日のこの映画に出て来る連中は、最近までこの街にゴマンと居た類いの連中だ。買う事を拒否して、また自分達の作品を企業に売る事を拒否して、自分達で全てやって行く事。映画は単純にインタビューのつなぎ合わせなのだが、それぞれのキャラの持つ個性と言葉の力強さ、そしてなにより皆が揃って異口同音に同じ考えを口にしてる様に胸がすく思いがした。
インターネットが個人と企業のサイズの違いを埋め、利ざやでメシを喰ってる人達を締め出してる。
人と人が、驚く程近くなった時代。生産者と消費者が直接つながれる。
これから、もっともっと言いたい事がある人や、見せたいものがある人、聴かせたいものがある人達が出てくるだろう。
アートにかかるコストは、信じられないスピードで縮んでいる。

そして、この映画の監督自体もこの映画を予算ゼロで撮って自分で配給してる。
DVDは売ってるけど、買った人にはコピーする事を勧めてるし、第一youtubeに自分で全部アップロードしてしまってる。
このままいけば、いつか皆がアーティストになるんじゃなかろうか?
そんな風に思わされる。

その一方、2010年からの流れは、急激にヤッピー化が進んでいるようにも思える。田舎で買い物とフットボールを楽しみに生きてた様な人達が、この一年で急激に都市部に流れ込んで来た。ウチの近所でも、高そうなイヌ連れた白人がロゴ物のスエット着て、腕にipod付けてジョギングしてたりする。これからどうなる事やら。

日本はどうなんだろう?

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