Tuesday, February 15, 2011

Robert Rodriguez 祭り



前回の最後に少し触れたが、我が家では最近、ロベルトロドリゲス祭りが勃発している。事の始まりは、El Mariach だった。

テキサス大のフィルムスクールを成績不良を理由に退学になりそうになった彼は、$7000という超低予算でこの2時間物を撮ってしまう。当初メキシコのVシネマ用に作られたものだったのだが、いきなりその年のサンダンスフィルムフェスティバルで観客賞を獲り、コロンビアピクチャーズに買い取られて全米公開される。一躍彼はハリウッドの一流監督の仲間入りを果たした。
このEl Mariachi、ロドリゲス自身がプロデュース、監督、撮影、脚本、編集と、殆ど独りで作っており、とにかく低予算で作る為に施された工夫や、撮影行程のオーガナイズが素晴らしく、また内容の微妙にB級な感じがウケて、アメリカではインディーフィルムメーカーのバイブルといっても過言でない扱いを受けている。本編も勿論面白いのだが、それよりもボーナスで入ってる ”10分フィルムスクール” が秀逸。どうやってこの限られた予算で予定のショットを撮ったかを、ロドリゲス自身が解説している。この15分程のいわば「通信教育ビデオ」は俺が学校で習った編集のクラスよりも、ずっと分かりやすく為になった。

El Mariachiでハリウッド入りした彼は、その前年に同じ賞を獲っていたタランティーノと意気投合。彼の助言通りにEl mariachiを三部作として仕上げ、彼自身と共に、当時無名だったアントニオバンデラスをスターダムに押し上げる。このDesperadoOnce upon a time in Mexicoは当時丁度ハリウッドが作るのをやめていた、70年代の低予算B級映画、通称「グラインドハウス」の復刻版というかセルフパロディもので、「ハリウッドが自分を笑う」というコンセプトがウケて大ヒット。その後、この流れはハリウッドスターが自分の過去の役柄を自分で演じるという形で影響を与え、Expendables等、今日まで続いている。

2000年を周り、今度彼がとった行動は皆を驚かせた。それまでのバイオレンス路線を180度方向転換し、ファミリー向け娯楽映画Spykidsを制作する。この映画でも彼は、音楽を含むそのほとんどを独りでこなしてしまう。しかもこれが面白い。子供向けでは無く、ファミリー向けというのがミソで、大人が観ても充分楽しめる。前作で機関銃を打ちまくってたバンデラスが子煩悩なパパを演じているのも笑える。
その後Spykidsはシリーズ化。Spykidsは、彼が彼の子供達の為に作ったファンタジーというコンセプトが見え隠れしていたが、次のSharkboy and Lavagirlではなんと、彼の7歳の息子にストーリーを書かせ、それを映画化している。小2の子供が、おそらく「あのね、そんでね」口調で語ったであろう物語は、前後のつながりやストーリーの整合性に乏しく、かなりサイケデリックな仕上がり。こんなものが映画になりうるのか、とまた唸らされた。

2007年に、ロドリゲスはタランティーノと共同でGrindhouseを制作。これは先程触れた70年代のB級映画の復刻で、タランティーノ監督のDeath proofという下らないカーチェイスものとロドリゲス監督のPlanet terrorというゾンビものの二本立て。当時一般的だった二本立てという配給方法から、フィルムのヤケや傷、当時多かった映写中のフィルム詰まりによる上映中断までを意図的に作り込んであり、ストーリーもベタベタの「あったあったその感じ」なゾンビ映画で、キャラクターとそのキャスティングもまさに「あるある」な仕上がり。当時の低予算な監督達が、それでもやりたい事が有りすぎるが故に全部を一つの映画に詰め込んだ、情熱的な感じがすごくよくプロットに組み込まれていて笑える。さっきまでサスペンスだったのに、急にサイコスリラーになり、次のシーンではコメディ、またその次は戦争モノ、そしてロマンスと、とにかくてんこ盛り。そのどれもが明らかに意図的に中途半端で、俳優陣のシリアスな演技も手伝ってもの凄く可笑しい。
俺はフィルムスクールに行って初めて気がついたのだが、ゾンビ映画とはフィルムメイカーの為にあるジャンルなのだ。さっきまでとってもいいやつだったアイツが、いきなり食べられたり、あんなに奇麗だったあの子が醜いゾンビに、なんてストーリーを、同級生たちは爆笑しながら夜遅くまで頑張って作っていた。当然出演も全員友達だから、試写会の日には、画面いっぱいに引きちぎられる友達の絶叫する下手な演技や血しぶきを観て、みんなでまた爆笑してた。

Planet Terrorの冒頭に、別の映画の予告編を入れるという、これまた70年代にはよく見られた手法を取り入れているのだが、実はその映画は、実在しないものだった。この映画、タイトルをMacheteという。Spykidsで、両親を助けに敵地に赴く子供達をアシストする、Macheteという涙もろく心優しい伯父さんというキャラが居て、ロドリゲスの従兄弟であるダニートレホが演じている。Spykidsで出て来たその心優しいmacheteが、実は殺しまくりのダークヒーローという設定のスピンオフ作品という設定(書いててややこしいな)。Spykidsを観た人達からみれば、「あのマチェテが、実はこんな恐ろしい奴だったなんて!」とそれだけで笑える予告編だったのだが、去年、その反響から遂に映画化され、これまたロバートデニーロ(イタリア人の彼の名前もロベルトと呼ぶべきだろう)やスティーブンセガール等の一流スターが、わざわざベタな役を演じてて面白い。

彼の映画を観てて、いつも思うのは、「なりきる」というのは笑える、という事。彼が笑いの対象にしているものは、ハリウッド映画のアクションスターやセクシーアイドル等、いつも「本気でなりきってる奴」で、そこに現実を知らないが故に描かれる、その人の夢や妄想が垣間見え、その妄想のディティールの甘さや現実とのギャップに笑える要素が詰まっているのだ。
これはカミングアウトを促しているともとれる。つまり、「なりきってる奴ら」を描く事で自分の描くキャラに対する第三者的な観点を表現し、そしてそれを笑う事で対象となる「なりきってる奴ら」に「お前等は笑える人達なんですよ」という明快なメッセージを送っている。そこにある種の愛情が感じられるからこそ、彼のフィルムが、ともすればキャラ攻撃と取られても仕方ない中で、大きなオーディエンスから理解を得ている理由なのだろうと思う。
そういえば、ここで延々と書いて来たロドリゲスの手法と同じコンセプトの映像を最近観た。今年の「笑ってはいけないスパイ」の中盤で流れたミニドラマ「君の瞳に両思い」がそれだ。大鶴義丹、保阪尚輝、田中律子ら90年代初頭の月9ドラマのゴールデンメンバーが、ベタベタな恋愛ドラマを演じていた。あの頃のドラマって、絶対恋愛した事ない奴が書いてた感じバリバリだったもんな。

あの頃、あれ書いてたライター達ってのは、本気だったのだろうか。それとも、爆笑しながら作っていたんだろうか?

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