Friday, July 22, 2011

Bodysong



 7月7日、七夕の日にウチの長男が産まれた。

初産にも関わらず、予定よりも2週間も早い出産だった。
当日、世界仰天ニュースの撮影で街を離れていたところに、電話があった。
夜中の1時を回っていた。
現場の皆が全力でダッシュをかけてくれて、3時前には家に着けたと思う。
そこから助産院に送ってもらい、様子を見るが、まだまだとの事でホテルに泊まる。
夜が明けていた。
俺は仕事の疲れから眠っていたが、嫁はウンウン唸りっぱなしで一睡もしていなかった。

昼過ぎ、陣痛の度に立ち止まり、休みながらの散歩をしたりして、その時をひたすら待つ。

夕方、嫁が「これは間違いないと思う」というので助産院に戻ると、どうやら体の準備も出来たようだった。
嫁の唸りに合わせて、でも落ち着かせる様にリードしながら、俺もオームを一緒に唱える。

そうこうしていると、嫁がいきみたがりだしたので、「いよいよか?」ということで湯船に移った。
ここまでは、自分の想像していた出産のシナリオ通りだった。
そしてここから頑張って踏ん張ったら、頭が見えてきて。。。。。。。

の筈が、突然、嫁が出血。
湯船に真っ赤な血がブワーッと広がって行く。
助産婦がアシスタントに救急車を呼ぶよう伝えている。
その判断の早さに、ただ事では無いという事が読み取れた。
すぐにやって来た救急車で、病院に搬送。

夕暮れの少し前の、いわゆるゴールデンアワーの金色の景色の中を、他の車を脇に寄せながら、俺たちを乗せた救急車だけが真っ直ぐに走って行く。
非現実的なくらい奇麗な光の中で、フリーウェイの全ての車が止まった不思議な光景。
サイレンの音しか聞こえない。
助手席から振り返った先に、酸素マスクを付けられた嫁の頭が揺れている。
嫁も子供も死ぬかもしれない、と思った。
その時の自分は、やけに醒めていた。一瞬で覚悟が決まった。
「神様、お医者様、どうか二人を助けて下さい。」とはならなかった。
逆に、「これが運命なのだろうか?」と、受け入れる体勢になった。
俺は、情が薄いのだろうか?今考えても分からない。
でも、うまく言葉に出来ないけれど、「仮に死んだとしても、誇らしい」というような強烈な信頼のような感覚がこみ上げて来て、俺はまるで自分が死ぬときの様に、妙にサッパリとしていた。

病院に着くと、嫁はガンガン色んな針を刺し込まれ、みるみる管とコードまみれになり、胎児の頭には心拍を測るためのセンサーが打ち込まれ、そのコードと子宮内の圧を測るセンサーのコードが股の間から延びて、ベッドの横の機械に繋がっている。あれよあれよと言う間に、おおよそ新しい命を迎え入れようと言う暖かい環境とはかけ離れた、おぞましい光景ができあがった。
そして、一定の処置が済むと、ナースが俺達に最初に言った言葉は、「痛み止め(無痛分娩)の用意は、いつでも出来てますよ、と奥さんに伝えて下さい。」だった。
彼女が悪魔に見えた。悪魔の囁きだった。

この状態から12時間、嫁は耐え続けたが子宮口は一向に開かず、結局「ゴメン」の一言で嫁はギブアップした。
いや、本当に開いてなかったのかどうかも、本当は怪しかった。
病院では、検査の度に違う看護婦がやってきて触診するので、前より開いていたかどうかは誰にも分からないのだ。
子供の心拍も安定していたし、出血も止まっていた。病院側も必要だとは一言も言わなかった。
でも結局、あれだけ拘ったにも関わらず、我が家の初産は、無痛分娩となった。

この人生の一大イベントを、二人で一緒に乗り切ろうと約束したのに、結局、嫁一人の決断で押し切られた事に、俺は猛烈な疎外感を感じながら、嫁が無痛分娩の処置を受けているのを黙って見ていた。
この日まで、ずっと何ヶ月も頭に描いて来た幸せな出産と、それに伴う二人の精神的な結び付きと、その深まり、そしてそこを基盤としてスタートする俺達三人の未来。そんなビジョンが頭をグルグルと回った。
目の前で起きている事は、そんな全てのイメージの正反対だった。
何と例えたらいいだろう。強姦によって処女を奪われた、そんな気持ちだった。

俺は、嫁の目を真っ直ぐに見れなくなった。
急に、全てに興味が無くなった。家に帰って寝たくなった。
勝手にしろ。
科学の助けを借りて自然を裏切り、陣痛から解放された嫁は、疲れからぐっすり眠っていた。
真っ暗な病室に、機械の点滅する光がその寝顔を浮かび上がらせる。
ついさっきまで強烈な信頼を寄せていた相棒が、ものすごく遠い誰かに思えた。
ずっと傍らで付き添ってくれていた助産婦が、気遣って俺を病室の外に連れ出した。
「洋輔、大丈夫?」と訊いて来たが、俺に何が言えよう。
起きてしまった事をいくら騒いでみても、もう時計の針は戻せないのだ。
彼女とはこの半年、毎週クラスを通して自然分娩について語り合った仲だ。俺が失ったものの大きさを察して、黙って優しくハグしてくれた。

 そうして拗ねていられたのも少しの間だけだった。1時間ほどすると、子供が産道へ降りて来た。それが分かると、投薬を減らそうとナースが言い出したので、俺は完全に切ってくれと頼んだが、「産むのはあんたじゃないでしょ。」と一蹴された。病室には男は俺だけ。嫁も含めて、俺の味方はもう、一人も居なかった。
急に色んな人間がやって来て、病室はごったがえした。
さっきまでの無音の世界から一転、慌ただしく色んな機器や器具の準備をするスタッフの大きな声が飛び交った。
その中、こうこうとたかれた照明の中、子供の頭が見えた。
必死にいきむ嫁。中々出てこない。
手を取って一緒にいきむ。う〜ん、と押すたびにまた戻る。
嫁は泣きが入って来た。そうじゃないんだ、出来るんだ、と言い聞かせて、もう一踏ん張り押すと、遂に出て来た。



 その瞬間の事は、言葉には出来ない。ただ言えるとすれば、「新しい人間が一人、この世界に加わったという事実に立ち会った」という巨大な経験をしたという事だけだ。今でも目を閉じれば再生できる。とてもサイケデリックでリアルな瞬間だった。感動して大泣きなどではなかった。
良い事も悪い事も含めた自分のこれまでの全ての行いに、一つの結果が出たという強烈な実感がガーンとやって来て、ある意味許された様な気持ちになって、涙が出た。

 今日、ウチの息子、古賀自由は生後2週間目。嫁の妹と4人でファーマーズマーケットを覗いた後、近所にパイを食べに行きました。毎日、おっぱいを飲みまくって、すくすく育ってます。もう寝返りもうちました。

 出産のあの日、期待から始まり、興奮、不安、思いやり、愛情、信頼、裏切り、失望、喪失と、めまぐるしく色んな気持ちをローラーコースターに乗ったかの様に経験して、最後に辿り着かされたのは、「理屈じゃねえ」という場所だった。勿論、俺が予定していた通りに出産出来ていたら、どんなに素晴らしかっただろうかと思う。そう出来なかったという事について、気持ちの上で未だに何かしこりの様な物はある。でも、そんな事で拗ねていても始まらないのだ。新生児は、毎日驚く早さで育って行く。そんな過ぎてしまった事に捕われて、今この瞬間を享受出来ないようでは、俺は人として終わっている。

そして、それは全ての事に通じて言える事なのだ。

俺は、この出産を通して "All or nothing" のような拘りを捨てる事が出来た。それは、俺がほぼ産まれてこのかた持ち続けて来た、捨てる事の出来ないプライドのような物だった。自分の想い描いた大切な夢を、メッタメタに切り刻まれた事で、また一つ生きるという事や生にしがみつくという事にリアリティが得られた気がする。

人は、無垢に産まれて来て、いつからか欲を覚え、それを満たす為に自分を忘れて行く。
失ったそれをまた取り戻す為に人は努力する。それを得るまでが、人生の前半なのだ。
その時期を青春と呼ぶのかもしれない。
そしてその涙ぐましい努力は、人がホルモンの影響下にある限り、本人が望むと望まざるとに関わらず、基本的にメーティングの為にあるのだ。
自分を忘れる程に、何かをアダプトして自分を変えて行こうとする原動力は、人に受け入れられたいという欲求に他ならない。それは、人間が社会的な生き物である以上避けられない最低限の欲求で、その最たるものが異性なのだ。
俺は同性愛者ではないので、彼等の気持ちは分からないが、少なくともへテロセクシャルであればそうだと思う。

その一人一人の一連の作業から派生して、経済や政治、社会へと波紋は広がっている。
その受精卵というミクロから、社会というマクロまでを、モンタージュで構成した作品が、このBodysongだ。
音楽はRadioheadのジョニーグリーンウッド。
素晴らしい作品だが、どうやら、日本では未発売のようなので、以下に本編を貼付けておきます。Enjoy.

bodysong 1
bodysong 2
bodysong 3

1 comment:

  1. これを読んでいて
    自分の出産の時を思い出したよ。私も自然分娩だったけど
    そりゃーもう何度も半泣きになりながら無痛分娩に切り替えてもらえないですかって懇願したっけ。
    結局、こっちでは急にそんな事言っても
    通してもらえず自然分娩だったんだけど。
    とにかく、奥サンもおこちゃまも無事で何より!
    本当におめでとう♪

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