Monday, September 5, 2011

東京原発





 俺のビザも残り後1年となり、子供も産まれた事もあって、最近ウチでは帰国の話がチラホラと出るようになった。
俺の息子はアメリカ人だが、第一言語が英語ってのだけは避けたい。ヒトは言語をベースにモノを考えるので、何語をベーシックに置くかで人間性が決まると言って良いと思う。
その上に環境や地域性、文化などが複雑に絡んで一人の人格を作り上げるのだ。
二つの言語を喋るようになって知った事だが、英語を喋っているときの自分と日本語を喋っているときの自分は、微妙に違う人格を持っている。
英語を喋っている自分は、より論理的で開放的で、発言に恐れが無い。第二言語にもかかわらず、思考は口をついて流れ出す。そのかわり「行間を読む」というような作業は基本的に頭に無い。
日本語を喋っているときの自分は、より情緒的で思慮深く、相手の立場に立って考える事が出来、あいまいで感覚的な事に対してオープンだが、その反面、思考をストレートに自分の口と直結出来ない。
この二つの違いは決して俺だけの問題ではないと思う。端からみても顕著だ。
政治家から学者、はてはテレビのアナウンサーまで、日本人の殆どは単語の間に「え〜」を挟まないと喋れない。
一方、ハリウッド映画でよく見る、「カップルが怒鳴り合った挙げ句に禁句を口にしてしまって謝る」という場面は、アメリカ人には実際にある事だ。
そういった意味で、日本人のプレゼン下手は言語の所為だと思うし、ラップとは英語の文化だなと思う。
どちらをとっても、片方だけでは不十分だと思うし、両方を使える事は間違いなく必要だ。

しかし英語がベーシックでは、どうしても自分を中心に考える人間に育ってしまいそうで嫌なのだ。
文頭に必ず主語を置くという行為を繰り返すとは、そういう事なのだ。
今日、世界中にアメリカがバラまいている数々の問題の元凶は、「彼等が英語を喋る」という事と「資本主義」が二人三脚で演じていると思う。

我が子には、思いやりのある人間に育って欲しい。
その為にも子供を日本語をベーシックに育てたいので、日本に住む事が望ましいという事で、女房とも話がおおむね一致して来た。

そこにきて、やっぱり「フクシマ」の問題が、俺達の頭の上に重くのしかかってきた。
先月、政府がとんでもない数字を公表した。事故から今日まで、約170日。この間に放出された放射性物質の量は、広島型原爆の168個分?!!!
毎日一回、日本では「ヒロシマ」が起きているというのか。。。。。
勿論、上記のリンクにもあるように、大気中で炸裂する爆弾と、原発からゆっくりと流出する放射性物質を単純に比較出来ない。
だがこれは、福島の方が、より高濃度の汚染が長期間続く事を同時に意味している訳でもある。
九州の米からもセシウムが出てる今、安全な場所なんて無い気がする。

今日、こともあろうに岩手のサンマを皆で食べよう!みたいなイベントがあっていたようで驚いた。
ちゃんとココに供されるサンマは全部放射線の検査をしてあるんだろうか?
ニュースは基本的に「被災地復興の為にいい事」として福島や岩手県産の農作物や魚介類が売れる事をいい事のように報道しているが、こういう、命や健康よりも経済を優先している様な連中の言う事を真に受けている人達を見るのは、本当に恐ろしい事だ。

事故の後、こんだけ政府もマスコミも企業も、嘘と隠蔽にまみれている事が分かっていながら、未だにそれを信じていたり、ニュースで報道されている事の外側の情報を自分から集めようとしない人達がいるのは驚きだ。海外に居た方が、フィルターのかかっていない情報が手に入りやすい。



先日、ベルギーでプレイしてるサッカー選手が「フクシマコール」でやじられたと言って、怒っていたらしい。
この世でもっとも汚い物を太平洋にジャンジャン垂れ流しておいて、怒れるところなのか?これは。
今回の一件は、これから何万年も日本人が背負って行かなければならない十字架なのだ。黙って頭を下げるしかないのでは?
そしてその十字架は、汚染された水や空気や食物、土壌を通じて日本人達の遺伝子に奇形や病気の因子として組み込まれ、永遠に受け継がれて行くのだ。
もし、俺の息子が将来、福島出身の女性を結婚相手として連れて来た時に、俺は孫が健康体で産まれてくるかを心配しない自信が無い。

何でこんな事になったのだろう。俺には原因が分かる。
日本の、日本人の、そこが嫌で国を出たんだから。
何が原因なのかじっくりと考えて欲しいが、残念ながらその原因となっている連中には、それが何だか分からないだろう。
問題は、そういう連中が「いい人達」である事だ。
例えば、こういう事を、分かち合いだと本気で言ってしまえる様な。
そして、今まで連中が社会の過半数であったからこそ、現状がこうなのだ。
日本人と話していると、「普通さ〜」とか「常識では」というようなフレーズがよく出る。これまでの自分達の「普通」や「常識」が間違っていたという認識に立って、未来を構築して欲しい。

 そんな事とは無縁の、俺が問題を訴えかけている訳ではない人達には、きっとそれが何か、とっくに分かってるんだろうな。

そんな方々に、今日はこの映画を紹介したい。



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