Tuesday, April 19, 2011

Full Metal Jacket



 恐ろしい事が起きた。急に、映画に飽きてしまったのだ。

 フィルムスクールに入学して以来この5年程の間、いわゆる「名作」をずっと観て来た。
俺は今でこそこうして映像業界の末席を汚しているが、元々映画が好きで好きで業界を志した訳では無った。
日本に居た頃は、恐らく大多数の他の日本人達と同じく、殆どハリウッドに独占されていると言っていい環境で、与えられたモノを観ていた。
タイタニック、二回も観たもんな(恥)。

だから、たまたま運の巡り合わせでフィルムスクールに通い出したとき、衝撃を受けた。
アメリカに有りながら、そこでは、俺がそれまで観て来たアメリカの映画など、一つも観せられる事は無かった。
映画を作ってる連中が、実はハリウッド映画など観ていなかったという事実。
目からウロコだった。

 思えば、当たり前の事なのだ。誤解を恐れずに言えば、B'zを本気で聴いてる連中は、その元ネタが Led Zeppelin だと知る人は少ないだろうし、Star Wars を最高だと思っている連中は、きっとその元ネタが黒澤の隠し砦の三悪人だとは思いもしないと思う。世の中には本物よりも素晴らしいリメイクなんてモノもあるし、そのどちらも知った上で「やっぱりStar WarsやB'zが好き」って人も居るんだろうが、俺は基本的に何でもオリジナルの方が好きだ。
そういった意味で自分がインスパイアされた元ネタについてカメラの前で喋ってしまうジョージルーカスは普通の人の感じがして好感が持てる。
昔ハウスのレコードを買い出した頃、元ネタのサルソウルやダンスクラシックを見つけると、何よりも嬉しかった。

 何事もお金の絡む事には、常にその表層にキャッチーな餌がふりまかれていて、ポピュラーであるほど一般的にテイストは薄い。しかし全ての物事にはルーツが在り、それこそが今、そのレプリカ商品やサービスがお金を生んでいるものの正体だと思う。
そのルーツに興味を持てる人間は幸いだ。何故なら、物事の本質を読み取ろうとする彼等のような人種は、無自覚に他人から搾取される事が無いからだ。

 92年頃、藤原ヒロシあたりがやってたパーティーで、立ち上がったばかりのアンダーカバーだったかBAPEだったかがTシャツを売っていた。当然高かったと思う。2パターンあって、一つは売り物で、一つはスタッフ用だったと思う。紺のシャツにでっかく黄色で「U」と緑で「2」って書いてあるだけ。それを喜んで着ている連中を見てぞっとした。
「こいつら、与えられるものなら何でもいいんだな。」って思った。それが何でそのデザインなのかを、もしくはそれが実際カッコいいかどうかを、誰も疑問に思わない事が理解出来なくて、自分がおかしいんじゃないかと思った。
別のパーティーはもっと酷かった。連中は事も有ろうに「stupid」とプリントされたシャツを作って来て、スタッフ用として配っていた。客に無価値な商品を売って、自分のイベントのスタッフをバカ呼ばわりして遊んでいる裏原系の連中が悪魔に見えて来て、俺はわざとそのシャツを着て一晩遊んでやった。こんな連中が作るTシャツを、ありがたがって一万円も出して買ってる奴らが、家畜に見えた。
でも、最近思う。顔の見えない相手から利潤を得る=mass productionとは、そういう事なのだ。

 話が逸れてしまったが、俺はフィルムスクールでそういった「元ネタの掘り方」を散々学んだ。その上で、いわゆる名作を片っ端から観た訳だが、それに飽きて、最近はB級モノばかり観て撮り方と演出の勉強をしたりしていたのだが、それにも疲れてしまい食傷気味だった。

観るモノが無い。
映画がつまらない。

そんな時、この映画を観てしまった。今まで何度も観たし、何も新しい筈は無かった。
でも、今回は決定的に違った。
クーブリックの様な巨匠と呼ばれる人の作品には、それ自体が巨大なオーラみたいなものを纏っていて、撮り方を参考にしようなんて思う事はまず無い。巨大なセットで、莫大な予算と最高の機材、何百人というスタッフを投じて作られるそのような作品に、俺のような一人のカメラマンが参考にすべき点が有るとは思えないからだ。

でも、この映画は違った。

油断していたのだ。こんなに凄い映画を、いつものB級映画を観る目で観てしまった。
すると、どうだろう。たしかに、ベトナム戦争モノでありながら全てをイギリスに建てたセット内で撮影したとは思えない巨大なスケールに圧倒されたが、実はクーブリックはこの映画を、基本に忠実な撮り方で撮っていたのだ。正に学校で最初に習う基本中の基本のような方法で。
ハリウッド映画のような、難しいカメラワークや巧妙な編集、特撮など何も無い。
ほぼ全てのカットが、どうやって撮られたのか観て分かるほど地味なのだ。
こんな質素な撮り方で、こんな巨大な作品が撮れるのかと、恐ろしくなった。
全ては、脚本と演技なのだ。

 ストーリーは二部構成で、前半は主人公であるジョーカーが海兵隊に入隊し、一人の人間から兵士へと育って行く教練過程を描く。後半はベトナムでの実戦シーン。
リー•アーメイの演じる教官の罵詈雑言は、この前半部分の殆どを埋め尽くし、聴く者を圧倒する。しかも一定のリズムを持っていて、聞くに堪えない内容ながら、何故か聴いていたいと思わせる危険な声なのだ。彼の朗々と続く新兵達の人格を全否定した長い台詞と、クーブリックのカットを極力省いた長いカメラワークは完全に共犯だ。
後半の実戦シーンも、音楽は殆ど入っておらず、ただ銃声と兵士の叫びと足音が延々と暗いアンビエントに乗っかっているだけ。それらが不思議なリズムを成していて、前半と合わせてこの映画を「2時間の一曲の音楽のPV」にしている。音だけで再生していても、十分鑑賞に堪えるのだ。

 そして、この映画を観ている時に、ふと気がついた事があった。
入隊初日に、兵士達はまず教官から圧力をかけられて、精神的に去勢されてしまう(一番上に添付しているシーン)のだが、このシーンを観ていて俺はケンさんに「何でコイツらこんな事されて黙ってるんですか?俺だったら殴り返して帰りますけどね。」と言った。その時、自分を長年苦しめてきた大きな疑問を理解した。

何故、人は戦争をするのか?

簡単な事だったのだ。兵士とはこの、自分の人格を否定されるという儀式を通過したときに、それを拒否出来なかった人間達なのだ。その、どう考えても理不尽なロジックを受け入れた時に、人間は権力によって去勢されてしまうのだ。
「人を殺す」という最大の罪を、「他人に命令されておこなってしまう自主性のカケラも無い人間」が居るから戦争は無くならないのだ。
生きて行くのは、大変な事だ。自分が何が出来るのかを自分で探し出し、自分の重要性というものを他人に知らしめながら、社会との結びつきの中でアイデンティティを確立して行かなければならない。
そんな大事な事を誰も教えてはくれない。なぜなら、それは全て自分で気付かなければ手に入らない事だからだ。
そして、時に苦しくとも基本的に喜びであるそのプロセスを、成人するまでに理解出来なかった人間達が、レベルの違いは有れど世の不条理を受け入れて、順次会社や社会の構成員となり、そしてその末端の人間達が軍隊に行く。

 自分が何者で、何がしたくて、何を愛し、何が許せないのか、何が善で、何が悪なのか、自分にとって何が一番大事なのか、そういった自意識の基盤を持ち得なかった人間達だけが、権力という暴力に屈服して、自己の存在定義である「自分の命」を失う可能性のある「戦争」なんかに「他人の意思に従って」足を踏み入れたりするのだ。

そしてクーブリックが描き出す軍隊は、完全にこの一般社会の縮図だ。
人間は、法という目に見えない幻想をシェアすることを権力機構から強制されて生きている。
その基盤となるのは、「罰則」という形の暴力だ。
法を拒否する権利と自由は、それに対をなす罰則によって必ず禁じられている。
つまり、人間は意識するしないに関わらず、法治国家に暮らす限りは、未だに暴力をベースとした恐怖によって統治されている。
一般社会とは、全ての人間がそれを受け入れながら暮らしている場所な訳で、それはクーブリックの描く軍隊と何が違うのだろう?
厳しい訓練をくぐり抜け、自分の個性というものを徹底的に否定され、他の連中と同じ様に振る舞う事を強制され、可能な限り教官から睨まれる事無いよう自ら行動を矯正した兵士達は、「自分で判断する」という責任を放棄して実戦に赴く。

映画の最後にジョーカーは言う。
「五体満足で生きててうれしい。クソみたいな世界だ。けど、俺は生きてて、そして怖くない。」
こうして自分が何をするのかという命題を考える必要がなくなった人間は、安心するのだ。

驚くかもしれないが、俺の知る限り、今アメリカがアフガニスタンとイラクとリビアで誰と何故戦っているのか知っている人は居ない。現場の兵士達も知らないと思う。

俺の様に、教官の理不尽を拒否する様な「協調性の無い」人間には、やはり外国くらいにしか居場所は用意されていないのかもしれない。

2 comments:

  1. 「自分が何者で、何がしたくて、何を愛し、何が許せないのか、何が善で、何が悪なのか、自分にとって何が一番大事なのか...」
    毎日(というよりevery moment、every step of lifeで)考えさせられているのよね...。だから少なくともこの質問への"今日"の答えはある。

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  2. そのとおり。そして、それを日々問う事を忘れた人達こそが、戦争やったり、原発を推進したり、新幹線の誘致に走ったり、ダム建てたり、道路作ったりしてるんだと思う。でも、この世はソッチの人達こそが過半数だから世の中こうなってるって、最近やっと気がついたよ。その為の民主主義だったんだってね。
    だから、俺達に出来る事は、敵を作る事や嫌われる事を恐れず、本当の事を口に出して喋る事だと思う。そうする事でしか、仲間は見つからないのだから。

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