Wednesday, April 6, 2011

原発と東京、アエラの表紙(その2)。

前回に引き続き、無関心について書いている。

地震からしばらくの間、人に会うと必ず家族や友人の安否を尋ねられた。
募金箱を置いていたこともあって、客には必ず訊かれた。
そして友人が関東東北に居ると言うと、必ず次に訊かれるのは「彼等はちゃんと逃げられたか?」だった。
そして、彼等が現地に残っているというと、必ず「WHY?」と訊かれた。

何回この会話をしただろうか。その度に、答えに困った。俺にも全く分からないからだった。

勿論彼等は、そして俺も、道路が寸断されて車も流され陸の孤島と化した地域で行方の知れない家族を探しまわる人達の事について話してはいない。
お金も車も体力もあって、その場をすぐに離れられる人間が、放射線を浴びているかもしれない状況で、ただじっとしている事が不可解なのだ。
この日本人とその他の国の人々とのメンタリティの違いは、成田空港に如実に顕われた。
とにかく脱出しようとする外国人達。俺も東京に居たなら一目散でそうしていたと思う。

そして、その時気がついた。俺もカフェの客も、そして成田に殺到した連中も、皆「ガイジン」なのだ。生まれ育った土地を離れて、見知らぬ土地で暮らすガイジン達には、一カ所に留まって土地を守って行くという観念が理解出来ない。
だから俺達のような連中は、被災地に残って頑張ろうとしている人達の事をどうこう言う立場に無い。
彼等の様な土地を愛する人達こそが、地方色や固有の文化というものを作ってきた訳で、その意味において俺は彼等を尊敬している。俺のような飽き性には出来ない事だ。

それに対して不可解だったのが、東京の反応だった。
彼等の殆どは地方から上京してきた人間達で、言ってみれば国こそ捨ててはいないものの、俺達同様に彼等も頭の中は「ガイジン」の筈だ。
だから、俺はてっきりこの事故が起きた直後は、「あー、これで東京はしばらくカラになるだろうな」と思った。
ところが、だった。

原発が爆発しようが空気中から放射能が検知されようが、会社が臨時休業になろうが、動かない。
計画停電でこれまでの生活を維持出来なくなっても、食料が無くなるかもしれないといっても、買い占めに走って動かない。
水から放射能が検出されても、ペットボトルを買い占めて、家ではその水でシャワーを浴びて暮らしている。

驚いた。

地震から半月近く経った今、振り返ってみれば東京にステイする事自体が間違いではなかったと、もしかしたら言えるかもしれない。しかしどうだろう?10年後に後遺症や奇形が増えたりしない保証がどこにあるのだろうか?
少なくとも、あの時点で悠長に構えているのは殆ど自殺行為に見えた。
アエラの表紙が槍玉に挙げられて、謝罪していた。
「放射能がくる」とは嘘なのか?
なぜ謝罪しなければいけなかったのだろう。

ニュースでは連日「農作物の風評被害が懸念される」旨が叫ばれているが、本当に懸念しなければならないのは、間違って汚染されたものを口にしてしまう事なのだ。
漁業も次々と再開されていて、驚く。報道のトーンも基本的にはそれがまるで良い事のように伝えている。

日常とは、その根幹が揺らいだ時に、その事実を無視してまでも維持しなくてはならないものなのだろうか?



ある日本人の友人と、この問題について話していたところ、彼女曰く、「生きるか死ぬかだけじゃなくて、どう生きたかが問題やから」と言っていて驚いた。言いたい事は分かるが、俺には自分の命と引き換えにしてまでキープしたい日常や、成し遂げたい仕事など無い。逆に、生きてさえいれば何とでもなると思う。
皆、命と引き換えにしてもいいほど、そんなに崇高な何かに出会っているのだろうか?
だとしたら、皮肉でも何でも無くその人達は幸せだ。

別の知人は「今出来る事といったら、とにかく政府の言う事やニュースを聞いて判断して、とにかく自分のやる事やっていくだけだろ」と言っていた。自身の危機管理とは、ニュースや政府の発表を尺度になされるものなのだろうか?
日常というのは、そんな明日をも知れないようなギリギリの状態と背中合わせでバランスをとりながら営んで行くものなのだろうか?

今回の事故を自分の事として捉えるには、俺は自分があまりにも身軽過ぎる事に気がついた。

自分を特定の土地に縛り付けるような財産を持ち合わせていない。
何かの大きな組織に属してもいない。
失うのが恐ろしいような、大それた仕事もしていない。
何処に行っても、また1からやり直せるし、怖くもない。
むしろそれは楽しい部分だと思っている。
そんな自分になりたくてそうしてきたし、快適だ。

だけど、今回はそんな自分と日本の間に大きな溝の様なものがある事が見えて、少し寂しくなった。

8 comments:

  1. 元気?
    東電の社長がバッくれたように、日本てんぱってるよー
    もう、世界の問題じゃん。海にも放射出、出ちゃってるみたいだし。
    どこにいても安全なんてないしね。
    東京は経済動かさないといけないからしょうがないんだよねきっと。まあみんないつか死ぬしね。

    sayaka kobayashi

    ReplyDelete
  2. さやかちゃん、久しぶり。
    そうなんだよ、「何処逃げても一緒」と「いつかは死ぬ」は、東京の友達からもらった返事にほぼ共通してた。
    みんな覚悟決めちゃってる感じがして、俺には現実感が無いよ。
    経済って、自分や家族の健康や未来より大事なのかな?

    本文には書かなかったけど、何が何でも生きてやる!って人達は、どうやら九州あたりに疎開が済んだみたいでホッとしてる。

    ReplyDelete
  3. 東京の友達は開き直ってる子多い。後、今東京住んでる人とずっと出身で東京にいるって人の意見がまた分かれてる。東京出身の人はほんとにクールで現実的だよ。まあどこもいくとこないしね。私みたいに少なからず長野とか行くとこあって東京在住と、出身が東京、家族、金の作りどころが東京って人とまた一言に東京と言っても違うと思うんだよね、細かくなると、、、。
    経済って家族や健康、未来より大事なの?の私の意見としては、サンフランシスコの前東京住んでたじゃん?私。で、サンフランシスコに住んでる時ほんと思ったけど、東京とか大きい都市を知らなければ特に経済とか考えなくていいんだよねって思った。関係ないもん知らない世界なんて。この街は現実的で、金がないと、みじめになる一方でさ。時間のスピードも異常だし、睡眠時間なんてあってないようなものってくらい。それが刺激で産まれた時からそのスタイルなら、それが現実だしね。でも節電で今渋谷とか夜とかめちゃ暗いけど、今まで便利すぎたからこれが浸透していけば、今まで金、金、経済、経済、で生きてきた自分をちょっと変えられるというか、そこで不安になる人もいるかもだけど(東京しか知らない人)もう、一人一人だよ。
    経済が大事って思って生きてくのも素晴らしいと思うし、東京が特別危険ではないと思うんだな。九州が安全とも私は考えにくいと思う。だって日本小さいじゃん。長野も北海道も一緒だしさ。
    日本は地震の前からとっくに不景気だし、元々東京は元気はなかった。この国は歳を重ねると腰重くなる雰囲気かもし出してるし、みんな諦めというより、どうなんだろうね。
    原発の知識がないから不安になるよね。
    昔もっとひどいことしてたから人体に影響あるとかないとか、それとどっちが悪いかとか、、どうなんだろって感じ。
    福島から東京に避難してきてる人もいて、一安心って言ってるし。

    サンフランシスコ遊びに行こうかな

    ReplyDelete
  4. はじめまして。
    なんとなくたどり着いて読ませて頂きました。

    正直「海外に居る呑気な日本人の意見」と思いました。

    原発に近い場所に居る被災者の方だって「何が何でも生きてやる!」って思って生きてます。
    動きたくても動けないと言う状況にある人が沢山居ます。

    経済が、自分や家族の健康や未来より大事な人なんて居ません。
    都内に居る人だって経済の為に動かない人だけじゃありません。

    貴方は遠い海外で今の日本の状況を詳しく分かってないのかもしれませんが、日本に居る私達に失礼な意見です。
    ネットと言う誰もが目にする事の出来る世界なのですから、「放射能は危険だから早く逃げた方がいい」なんて全世界の人が分かってる事をさも正しいみたいに書くより、もう少し頭の良い意見、考えを書いて頂きたいです。

    日本に住んでる私達は今大変な思いの中で生きてます。
    貴方の書かれた文章はとても失礼な物だと思い、書かせて頂きました。
    失礼致しました。

    ReplyDelete
  5. AYAさん>書き込み、本当に有り難うございます。
    そうですね。恐らくAYAさんの言われる通りだと思います。俺はきっと、いま東京に居ないから状況が見えてないのだと思います。
    それは充分承知の上で書き込みました。
    自分が何を分かっていて、何が分かってないのか、知る術が無いから知りたいのです。
    でも、やっぱり俺には自分や自分の家族の命や健康以上に大切なものが想像出来ないのです。「放射能は危険だから早く逃げた方がいい」よりもプライオリティの高い事って何ですか?東京の人達のように、物理的には脱出可能なのに、動きたくても動けない理由って何なんでしょう?。
    それが知りたくて、この書き込みをしたようなものです。
    だから、反論であっても意見を頂けた事は、本当にありがたいです。

    でも、AYAさんの書き込みの中にも、やっぱりそれが何なのかは、見て取れません。一体、今回のガイジン達との反応の違いは何なんでしょう?

    本文中にも断りを入れていますが、俺は被災地の方々のことを云々と言っている訳ではありません。その場に残って、捨て身で復興にあたっている方達には頭が下がります。

    どの辺が失礼だったのかも、今一度自分で読み直しても分からないんですよ。。。どうして失礼なんでしょう。。。。

    俺が今回のテーマにしている事は、「生きるという事のリアリティを、どのように捉えているのか」という事です。俺にとって生きるとは、「生き残る」事です。でもどうやら今回、被爆しているかもしれないという状況で日常をおくっている方達は、俺とは違ったリアリティを持っておられるようだな、というのがボンヤリとだけ分かってきました。その正体が知りたいのです。

    ReplyDelete
  6. 「東京の人達のように、物理的には脱出可能」とはどういう考えでしょうか?
    私は、会社員です。
    今、仕事を放り出して安全な場所に逃げるとなると仕事を辞める事になります。
    避難先で今以上の給料を貰える仕事にはつけないでしょう。

    私には、関東以外に親戚など居ません。
    東京を出ると言う事は、どこか地方で住む所を借りて生活すると言う事です。
    今の原発の状況では、収束するまでにかなり長い時間がかかると思われます。
    そんな長い間、ホテルなりアパートなり借りて生活する費用はありません。

    私の友達には学校に通う子供の居る主婦も居ます。
    東京を出るという事は子供は学校にも通えません。
    貴方は、子供の健康が大事なら学校くらい休めば?と言うかもしれませんが、そんなに簡単に長期休むなんて事は出来るのでしょうか。
    お子さんは塾にも通っていますし、定期的に通わなくてはならない病院もあるそうです。
    お子さんの学校で、休んでる子は居ないそうです。
    皆、きちんと自宅から通っているそうです。
    ご主人は、家族を養う為に都内で勤めています。
    子供だけでも、とも思いますが、自宅のローン、車のローン、その他の生活費を稼いでいるご主人を残して東京を出る事も出来ないと言ってます。

    フリーターの友達も居ます。
    その人は逃げ出すお金も、避難してからのお金もない、と言ってます。

    誰だって、自分や自分の家族の命や健康以上に大切なものなんてないでしょう。
    でも現状、生活を放り出して逃げるなんて事が出来る人は一握りの方でしょう。
    都内、またもっと原発に近い場所におられる方も、動きたくても動けない、これが現実です。
    原発が怖い、だから早く逃げろ、そう出来ればいいんでしょうが、そんな事出来る生活してる人なんて僅かだと思います。

    「被爆しているかもしれないという状況で日常をおくっている方達」
    そんな事言うのが失礼だと言う事とは思いませんか?
    貴方は東京の方に向けて言ってるようですが、被災地の方が見たらどう思うでしょうか?
    「その場に残って、捨て身で復興にあたっている方達には頭が下がります。」
    と書かれてますが、被災地にあえて残ってる人なんて僅かでしょう。
    原発に近い避難所以外行く所がない人が沢山居るのです。
    遠くに行きたくても動けない被災地の方が沢山居るのです。
    その方々の、原発に近い場所にしか居る所がない、と言う恐怖を考えたことはないですか?

    「生きるという事のリアリティを、どのように捉えているのか」
    生きていく為には生活費を稼ぐ、今居る自宅に全てがある、今居る場所に全ての生活がある、
    そういうのは「生きるという事のリアリティ」と言わないのでしょうか?

    人それぞれの生き方ですので、貴方の生き方に意見するつもりはないですが、直ぐに、放射能が怖いから逃げろ、と言う考えになるというのは生活の違いでしょう。
    貴方は、逃げてからの生活設計をきちんと考えて意見しているのでしょうか?
    なんとかなる、なんて安易な考えで、家族全員遠くに逃げるなんて人が居たら無責任と思えるのですが。
    私の様に色々な物に縛られて生きてる人の方が圧倒的に多いと思います。
    全て放り出して逃げるなんて出来ない人達に対して、逃げない事を「命と引き換えにしてもいいほど、そんなに崇高な何かに出会っているのだろうか?」なんて書くのは、やはり失礼と言うか、違うんだけどな…と言う考えでしかないです。

    「生き残る」と表現されてますが、根無し草の様な貴方の生き方の方が、リアリティがない生き方に思えます。

    最後ですが、貴方の意見はもっともだと思います。
    「原発が怖いから避難する」これは1番の理想です。
    ただ、全てを捨てて避難すると言う事は簡単な事じゃないです。
    でもそれは、貴方と私の生活観、生き方の違いと言う事だけなのかもしれませんが…

    反論と言うより、こういう生き方をしてる人間も沢山居るって事を知って欲しくて書きました。
    長文失礼致しました。

    ReplyDelete
  7. ブログ読んだよ。日本人離れとかそういう問題?
    今,一番助けて欲しいのは日本なんだすよ。
    私らを育ててくれた日本の土地!!!
    コントロールされてる事くらい分かってる、そこが一番危険って分かって、
    命がけで今、真実伝えてる記者がいる。消防士がいる。原発で働いてる人がいる、最前線でボランティアしてる友達。みんな責任ある行動とって何とかしようとしてる。
    どうこう責めてる場合じゃないから。
    悲鳴あげたいのは日本なんだから。
    ファッキン報道規制、そしたら自分がそれに勝るメディアになったらいい。

    情報がばらばらでそれぞれの捉え方が違うから、そこが本当に危険で、
    地震プレートの真上にある浜岡原発も止めるのに署名集めてる状態、
    ほんと、
    そこをなんとかみんなで意識を合わせて行動にとって、
    この恐怖やこれから起こる大変な事を何とか、少しでもいい方向に向けていくことが自分たちの原発にも恩恵を受けてガソリン使って電気つかいまくってきた責任だよ。
    チェリノブイリは100万人死亡してる(フェースブックにポストしてる)
    それでも貧しい人達は土地に帰ってるんだよ。
    福島でのオーガニックファーマーの自殺、私の友人達はどうして生きていくんだろう。
    まだまだその向こうにある原発や再処理はどうなんの。
    伝える事、そして外からの助け、そしてどうしていくかだよ。
    うちの兄貴は東京を極度のストレスの中でも離れず、家族と共にいて、
    原発に変わる自然エネルギーの会社と話してみるっていった。
    すごい、っておもったよ。泣けるわ。
    周りが投げてどうすんの、無知や無責任が人を苦しめてるんだよーー。
    日本が矢印の先で、未来の子供達をいいところにつれていく責任をとってるんだよ。。。力合わしていこうよ。
    私を助けてくれた四国のカヌーの人達、

    http://40010.net/modules/tinyd4/index.php?id=9

    ReplyDelete
  8. どうも。本文中で、俺は誰の事も別に責めてはいないですよ。
    もう地震から一ヶ月以上が経って、これまでの対応の結果と、これからが少しずつ見えてきました。
    やはり政府は隠蔽と嘘を段階的に流していた事も分かったし、それに対して皆それぞれがとった行動がどういう意味があったのかも各々が振り返って考えられる時期が来ていると思います。その上で、今回の自分の書き込みを見直しても、やっぱり俺は自分の感覚が正しかったと思うのですが。

    今日もニュースで、保育園の先生が園児達に「土の中には放射能というものがあるので、皆さんもう少しだけ、それが無くなるまで砂場で遊ぶのは我慢しましょう」と言っている映像が出てましたが、これをどう捉えたらいいのか俺には分かりません。この人達は2万年砂場遊びを我慢しながらそこで暮らす気なんでしょうか?

    俺が問うているのは、「何が人を土地に結びつけているのか?」です。
    地域の結び付きですか?もしそうだとしたら、何も心配ありません。離れていても仲間は仲間です。海外に住んでみて、それはハッキリ分かりました。もしそれで疎遠になるんだとしたら、それはそういう物だったという事でしょう。
    残して来た土地や財産ですか?そんなものの為に、しかも汚染されてしまって無価値になってしまったものの為に自分や家族の健康を守れないのは本末転倒の極みです。

    では、何なんでしょう?
    分かりません。知りたいです。本当に。
    誰か教えてくれないでしょうか?

    いつまでも避難所暮らしが続いているのを見て、一体行政は何をやっているのか?と思って、試しに地元の福岡市のホームページ見てみたら、ちゃんと市営住宅を被災者用に開放してるんですよ。これはどの程度進んでるんだろう?と思って、隣接する全部の他の行政のホームページを見てみたら、数に開きはあるものの、その全てが住宅を開放してました。つまり、受け皿はあるんですよ。望む人達には。俺には皆、それを欲しがってないように見えます。

    俺は、どうやら贈り物をする時に、その人が欲しいものを贈るのではなく、自分が贈りたいものを贈る質のようです。それを貰って喜ぶ人達には、自分の身を削ってでもあげたいと思います。でも、それを欲しがっていない人達に、「これがあったら絶対良いから!」と声高に叫ぶのに疲れました。

    ReplyDelete